作品一覧
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火の神の懐にて
この頃のわたしは、母性や女性を排除して、出来るだけ何物でもない踊りに打ち込もうとしていた過去から、子供を授かった體の丸ごとをひっくるめて舞台にしてしまえ!という、ありのままをどう作品に昇華するかに踠いていた。
舞踏と名乗ったある公演を初めて見た時、踊り手の白塗りの粉が照明に乾き、灯りの中を上に上に登っていく様は、街路樹にへばりつく毒蛾の粉が舞い上がるような、からだに悪そうな、でもマットで静かに惹かれる旋律があった。
その植物のアクのような突っ立つものは、今は無き流行通信の画像のようで、動かずとも、肉體そのものをオブジェにすることができるのだと感じた。
それが妊娠後期の肉割れし妊娠線が露わに浮き出るな期間限定のグロテクスな、今しかない女にしかない體そのものを、舞台に乗せようとした切羽詰まった叫びだった。
美しく研ぎ澄まされた物を選び取って乗せるから、それそのものの生きている不細工さえそのまま乗せるに転換していく一歩だった。(Rosaゆき)- 上演団体 / 個人
- TORII HALL
- 演出 / 振付
- Rosaゆき
- 会場
- TORII HALL
- 上演年
- 1993
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ひとり踊りⅨ:肉体の闇 (TOKYO SCENE 88)
「ピュアな創作現場とアコースティック・サウンドのコラボレーション。ひとと物質の未来に視線をむけながら」がテーマの「TOKYO SCENE 88」は1988年12月8日~11日まで4組のコラボレーションを展開。
1974年より九十九里浜で「知覚行為」を始め、自然の中での裸体歩行を100回以上行った後、86年から「ひとり踊り」と名付けた裸体舞踊を行なう川村浪子と、田中泯などの舞踊家や美術家と組んで先駆的な電子音楽を生む野口実とのコラボレーション。- 上演団体 / 個人
- スタジオ200
- 演出 / 振付
- 川村浪子
- 会場
- スタジオ200
- 上演年
- 1988
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蹄と簪(ひづめとかんざし)
舞踏公演・族長の足袋V。大阪公演の前に東京・北沢タウンホール、後に名古屋・西文化小劇場でも上演。
「天と地 / 火と水 / 水と油 / 生と死 / 豆腐と鉄鎚 / 右手と左手 / 石と紅 / 男と女 / 臼と杵 / 大便と小便 / 頭と尻 / 月とスッポン / 明と暗 / 無音と音 / 老子と孔子 / 兄と弟 / 金魚鉢と太平洋 / 赤と黒 / 狐と狸 / 花と龍 / 内と外 / 床と天井 / ヘビとネズミ / 鏡と人形 / 点と線 / 麦と兵隊 / 泥と砂 / 乾燥と湿潤 / 手と足 / 肘と膝 / 指先とつま先 / ひずみと泉 / 頼山陽と菅茶山 / イ草と黒牛 / 巫女と祝詞 / 水牛と姫 / 蹄と簪」 (チラシより)- 上演団体 / 個人
- TORII HALL
- 演出 / 振付
- 海田勝(族長の足袋)
- 会場
- TORII HALL
- 上演年
- 1994
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陽だまりの昼食
「DANCE HOUSE PART1」参加作品。
エリック・サティの「梨の形をした3つの小品」を使用し、口をあけて食べる仕草を振付に入れながらも絵画的でロマンティックな作品に仕上げている。
- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 折田克子
- 会場
- ABC会館ホール
- 上演年
- 1982
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陽だまり- Sunday in Life
日本より、古川あんずを演出家として招待、tatoebaのメンバーとの共同振付で上演された。
凍える寒さのベルリンに住んでいると、太陽の光の集まる陽だまりは、オアシスのように私たちを惹きつける。人間のみならず、獣や虫や花も光の中でほどけたり、闇の中でくつろいだり、さまざまに形態を変容させていく。
光と闇の交錯の中で、生きとし生けるものたちの命のさまを タペストリーのように陰影深く織り込んでいった作品。
1989年4月、ベタニアン文化センター(ベルリン)にて初演。- 上演団体 / 個人
- tatoeba
- 演出 / 振付
- 古川あんず、tatoeba
- 上演年
- 1989
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悲惨物語
近親相姦の家庭悲劇を綴ったマルキ・ド・サドの「悲惨物語」(澁澤龍彦訳)を題材に踊る。一幕五場。「舞踏作品集Ⅰ」として上演され、3月には舞踏作品集Ⅱとして、同じくマルキ・ド・サドの作品「ソドム百二十日」(澁澤龍彦訳)を、5月には舞踏作品集Ⅲとして「死美人-エドガー・アラン・ポーに寄せて」を踊った。
笠井は1979年3月に発行された自身の著書『神々の黄昏』において、サドの無垢性に触れている。- 上演団体 / 個人
- 天使館
- 演出 / 振付
- 笠井叡
- 会場
- 第一生命ホール
- 上演年
- 1979
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馬六苦記紀図 〜バロックキキーズ〜
青森県八戸市にある精神病院《青南病院》で行われていた舞踊療法の発表会の様子を撮影、編集。1980年頃から写真家の羽永光利の紹介で舞踏家の石井満隆が青南病院に通った。東京在住で頻繁に通えない石井は、練習の手本をビデオで送り、通信教育的に患者たちを指導した。精神病院という特異な場所という理由もあり、発表会は関係者のみの公演となったという。小道具や衣装、メイクなども石井や病院スタッフ等で行った。
- 上演団体 / 個人
- 石井満隆
- 演出 / 振付
- 千葉元
- 会場
- 青南病院(青森県八戸市)
- 上演年
- 1981
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バルドゥ トェ ドル チベット死者の書
第2回OSAKA DANCE EXPERIENCE作品。天然肉体詩虫丸独儀JAPAN TOUR’96。
チベットには様々な不思議があふれています。「バルドゥ トェ ドル」とは、一般に ""チベット死者の書"" として知られている密教経典の原語名。死から誕生へと輪廻転生していく霊魂への導きを説いた世紀の奇書。この経典に想をとり、一九九五年西チベット・聖山カイラス巡礼行での体験を混えて創作した虫丸流立体マンダラ肉体詩の世界。踊り踊らんとて旅続け、酒飲まんとて人を恋ふ。- 上演団体 / 個人
- TORII HALL
- 演出 / 振付
- 藤條虫丸
- 会場
- TORII HALL
- 上演年
- 1996
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Husk(殻)-dance for camera-
エイコ&コマの映像作品。メディア作品制作で映像作家とのコラボレーションを経験したエイコ&コマは、自分達だけでHUSKを制作することを決意。コマがカメラマンの役割を担い、エイコのソロを撮影した。ビデオ・カメラの再生機能を使い、一回の長回しとして体とカメラによる振付をつくりあげた。撮影は1987年5月、ニューヨークのカンポ・カルチュラル・センターにて。©1987, Eiko & Koma.
- 上演団体 / 個人
- Eiko & Koma
- 演出 / 振付
- Eiko
- 会場
- カンポ・カルチュラル・センター
- 上演年
- 1987
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白衣の男
大野慶人を被写体とする16ミリフィルム映像。2018年に大野慶人宅で発見されたものだが、撮影の経緯など詳細はわかっていない。無音の映像で、制作途上のフィルムである可能性もある。1969年に開催された大野慶人ソロ公演のポスター写真に衣装とメークが酷似しており、公演を準備している時期に鎌倉の海で撮影されたものではないかと推測されている。
- 上演団体 / 個人
- 大野一雄舞踏研究所
- 演出 / 振付
- 大野慶人
- 上演年
- 1969
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野の婚礼
「己の内奥の宇宙の目を向けること」‥‥‥これが舞踏の出発点であり、その目が何処についているのかが大切なことだ。足が二本に分かれてから我々は迷ってばかりいる。私は一本足の杭になり荒野に立っていたい。森羅万象の内に潜む秘密の階段は、我々の果てしない野に続く。私は急いで準備をするのだ。婚礼が始まる。風が吹いてくる。
- 上演団体 / 個人
- 和栗由紀夫+好善社
- 演出 / 振付
- 和栗由紀夫
- 会場
- シアターX
- 上演年
- 1994
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21000海里の舞踏会
満州鉄道を模して本物の線路を枕木・線路石と共に約30m設置し客席として作られた船がエンディングに線路の上を曳航する。公演モチーフは旧日本軍兵士の亡霊の彷徨いから始まり線路を歩く花嫁、インドの瘋癲青年の群舞、その中から現れる金色の仏の踊りなど、それ以前の主要なモチーフであった「ハレとケ」を織り交ぜながら以後の作品に色濃く現れる仏教思想に視線を置いた記念碑的作品。
- 上演団体 / 個人
- 宇野萬
- 演出 / 振付
- 宇野萬
- 会場
- 佐賀町エキジビット・スペース
- 上演年
- 1984
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日月潭 ー光と影の迷宮を巡る物語ー(リハーサル)
「日月潭」とは「光と影」の物語である。そして「光と影」が織りなす迷宮を旅する男の「引き裂かれた魂」がお互いを探し求める物語でもある。あるときは鬼神に、またあるときは観音にも変化する「影」に誘われて、いくつかの扉を開いてゆく。水鏡の底から歩いてくるもう一人の自分。伸縮する迷宮の中で起こる死と再生の儀式。退行していく夢。夢という肉体が螺旋の渦に巻き込まれていく…。
光を浴びた影が水をくぐって再生される「フィルム」という幻の向こうへと、私の舞踏の回廊は続いている。(和栗由紀夫)
映像は檜原村での合宿中に撮影された全編を通したリハーサル。上演は、渋谷シードホールにて1993年1月22日~26日に行われた。- 上演団体 / 個人
- 和栗由紀夫+好善社
- 演出 / 振付
- 和栗由紀夫
- 会場
- 檜原村
- 上演年
- 1992
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Nurse’s Song(乳母の歌)
TRILOGYと共に上演したこの作品は、アレン・ギンズバーグが作曲したウィリアム・ブレイクの「乳母の歌」に振付けた。アレンとは1980年にコロラド州のナロッパ大学で講義をしていた時に友達になった。公演では、友達たちとつくった即席バンドDIRT BANDの演奏で、親友だったスタンドアップ・コメディアンのボブ・キャロルに歌ってもらった。この公演から間もなく、私達はニューヨークシティーを離れ、この作品を二度と上演することはなかった。
- 上演団体 / 個人
- Eiko & Koma
- 演出 / 振付
- Eiko & Koma
- 会場
- The Kitchen (ニューヨーク)
- 上演年
- 1981
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生成
「生成(なまなり)」は、「全裸・不動・垂立」のソロ・パフォーマンスを展開していた岩名雅記にとって大きな転機となった作品で、1985年初演。自らの中に潜んでいる女性性を踊りたいと、初めてヨーロッパ近世の貴婦人のドレスを着て踊った。同年、岩名は自らの踊りを「舞踏」と呼ぶようになる。「生成(なまなり)」と呼ばれる能面は、角を少し生やした女面で、般若になる前の状態を表したものを言う。
- 上演団体 / 個人
- TORII HALL
- 演出 / 振付
- 岩名雅記
- 会場
- TORII HALL
- 上演年
- 1999
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Night Tide(夜の潮)
エイコ&コマが全裸で動く最初の作品。体を風景として探っていく。キャッツキル山地での孤立した、山々の動きを感じるとる生活に触発された作品である。ファンデーション・フォー・コンテンポラリー・アーツのフェローシップを獲得した時期に制作した。「GRAIN」と「NIGHT TIDE」の2作品を上演した一夜でエイコ&コマは初めてのベッシー賞(ニューヨーク・ダンス&パフォーマンス賞)を受賞。1986年に発表した「NEW MOON STORIES」の一部としても上演された。
- 上演団体 / 個人
- Eiko & Koma
- 演出 / 振付
- Eiko & Koma
- 会場
- ダンス・シアター・ワークショップ (NY)
- 上演年
- 1984
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『道化の小道 』~「新宿駅ラッシュアワーのタンゴ」ほか
「新宿駅ラッシュアワーのタンゴ」は70年代に制作されたヨネヤマママコの代表作。通常は無言であるパントマイムに、ウィットに富んだ歌と語りをつけた独自の形式「パンカゴ」で、駅を行き交う人々を痛烈に風刺する。
映像は1984年のマイム・ソロリサイタル『道化の小道』のもの。以下の作品が上演された。
タコを上げる子ども / 女の成長 / 象の話 / ボタン戦争 / 新宿駅ラッシュアワーのタンゴ / 空を飛ぶ男 / ピエロの玉- 上演団体 / 個人
- ヨネヤマママコ
- 演出 / 振付
- ヨネヤマママコ
- 会場
- 三越劇場
- 上演年
- 1984
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トンネルをぬけた。家があった。
砂連尾理・寺田みさこダンスパフォーマンス、第6回OSAKA DANCE EXPERIENCE(前期)参加。
『文章を書くという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感性はなく、ものさしだ…』(ハートフィールド)…久し振りに生まれ育った街を歩いてみた。どぶ川の蛸焼き屋、寂れた銭湯の煙突、高さ1mほどのトンネル…懐かしい風景の隙間に、見覚えのないカラオケボックスやコンビニエンスストアが立ち並んでいた。幼い頃、何の違和感もなく過ごしてきた街に、こころとからだを浸してみると、蓄積された時間と空間の中から、不意に何かがこぼれてきた。私はそれが、またこぼれてくるのを、だたひたすら待っていた。- 上演団体 / 個人
- TORII HALL
- 演出 / 振付
- 砂連尾理・寺田みさこ
- 会場
- TORII HALL
- 上演年
- 2000
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トリスタンとイゾルデ
1976年、笠井叡は精力的に活動し、この年に発表した他の三作品(「月読蛭子」「個的秘儀としての聖霊舞踏のために」「物質の未来」)と合わせて、1976年度第8回舞踊批評家協会賞受賞した。また、この年の活動に対し、市川雅が選考した「ダンス・ワーク舞踊家賞」も送られた。4作品全部を観覧した詩人の吉岡実は、「新劇」1977年8月号でその体験を織り込んだとみられる「使者 ー笠井叡のための素描の詩」を発表している。
- 上演団体 / 個人
- 天使館
- 演出 / 振付
- 笠井叡
- 会場
- 九段会館ホール
- 上演年
- 1976
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鳥首〜古に乱舞するには
山田せつ子舞踏公演。
歌人、山中智恵子の作品「鳥首」からインスパイアされた作品で、古代の祭祀的な要素を含んでいる。ソロ中心の作品が多い中で、この作品には佐東みわこ、杉山景子が出演している。巨大な被り物を付けた山田が敢えて跛行的な歩行を続け、身体の在り方への新たな視点を模索しているのがわかる。土、水、紙などで空間を構成しつつ、身振り、行為と、踊ることの境界を越えるような振り付けが特徴的に現れている。- 上演団体 / 個人
- 山田せつ子
- 演出 / 振付
- 山田せつ子
- 会場
- 東京日仏学院ホール
- 上演年
- 1986