作品一覧
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情熱
故如月小春さんの訃報が、2000年12月にニューヨークに滞在中の羊屋白玉に届いた。
その後、小春さんの『DOLL』再演の依頼があり、初演から20年、小春さんの『DOLL』は、指輪ホテルの『情熱』となって蘇った。
昭和58年、海に消えた少女たちが、平成15年、ビルの屋上のテニスコートに舞い降りた。
女子高生の自殺を扱った作品『DOLL』。小春さんが遠投した「少女たちの死のゆくへ」を受け止め、「生の感触」として、さらに遠くへ投げ飛ばそうとした作品である。- 上演団体 / 個人
- 指輪ホテル
- 演出 / 振付
- 羊屋白玉
- 会場
- 空中庭球園、池袋「ロサ会館」屋上テニスコート
- 上演年
- 2003
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神話 ―輪廻転生―
元藤燁子が舞踏の底流にあると考える神話をテーマに構成した作品。遠く神々の時代から続く肉体と大地の交わりを意識し、大地を踏み舞う時、大地と一体となった深い悦びを得る、その魂の感動を作品にこめている。奇抜な発想からの振付もあって、これまでとは異質な舞踏だったが、その挑発的で実験的な手法を舞踏手たちも観客も受け入れた。土方巽の舞踏を継承しつつ、独自の身体表現に取り組む元藤の姿勢が発揮された舞踏作品となった。
- 上演団体 / 個人
- アスベスト館
- 演出 / 振付
- 元藤燁子
- 会場
- アスベスト館
- 上演年
- 1997
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終止符の変ハ短調
泉勝志が折田克子に振付けたソロ作品。泉は折田のエモーショナルでウエットでリリカルな 自己の感情を主観的、情緒的に表現する能力を見事に引き出した作品に仕上げた。「折田克子・一人だけの舞踊」にて上演。
- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 泉勝志
- 会場
- ABCホール
- 上演年
- 1978
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秋想賦(しゅうしふ)
元藤燁子は、1年に1回の公演のペースで新作をつくってきたが、この年1996年は大阪のTORII HALLから招かれての公演での新作発表となった。小さなホールでの公演であったので、秋の夜に物思いにふけるように、元藤燁子が静かに人生を回顧するような叙情的な作品であった。これまでの人生に沈潜してモノローグで語るように、これまで培ってきたバレエやモダンダンスのテクニックをも生かして踊った。
- 上演団体 / 個人
- アスベスト館
- 演出 / 振付
- 元藤燁子
- 会場
- TORII HALL
- 上演年
- 1996
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者藍歩花 -SHARANPOKA-
フランスでのカトリーヌ・ディヴェレスとの3年間の作業を経て、上杉が日本に戻ってから最初の舞踏ソロ作品。
「動きの巾ではなく気配の落差」、「抑圧した動き」で劇場の空間をつかみ、「彼女に於いて愛(エロス)は完結する」(佐藤正敏/「テレプシコール通信」1991年)と評されるほど、観客を魅了した。- 上演団体 / 個人
- 上杉満代
- 演出 / 振付
- 上杉貢代
- 会場
- 中野テレプシコール
- 上演年
- 1991
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沈める瀧~和太鼓・皮膜彫刻・光・舞踏のコラボレーション
私の身体の中を流れている無頼の血は、あるときは幾筋にも分かれ、また集まり瀧となって音もなく身体の芯部へと落ちている。しかし、じっと耳を澄ますと、かすかだが遠くで太鼓を打つような音が聞こえてくる。風に乗って聞こえてくる夜祭のお囃子か?あるいは、往来の昼日中、耳の奥で唸っている海鳴りか?いや、違う。もっと古い血の記憶だ。舞踏の古代史の中には「鬼」「まれびと」「龍蛇」などが出たり入ったりしているように思う。現代の私たちの身体の奥にも彼らは棲んでいるのだろうか。われわれの身体とは不思議で変な入れ物だ。記憶という川をさかのぼり瀧壺に沈みキラキラと光る一枚のウロコを手に入れる。それを合図に水龍と火龍の戦いの火ぶたが切って落とされるのだ。そういう修羅場こそ舞踏奴の独壇場である。男伊達、そこのけそこのけ奴が通る。美女の恋に翻弄された鳴神上人も瀧を登って龍となる。新しい祭のはじまりだ。
- 上演団体 / 個人
- 和栗由紀夫+好善社
- 演出 / 振付
- 和栗由紀夫、平沼仁一
- 会場
- P3 art and environment
- 上演年
- 1995
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The Hanged Man
東洋の精神性にも魅了された彫刻家《ウィム・デ・ハーン(1913~1967年)》を追悼したダンスムービー。
物語は、オランダ国アムステルダム市にある「マヘレ橋」から始まる。十字架のような木彫りの作品を抱え、神妙な面持ちで歩く石井満隆と、その後ろを付いていく友人たち。
シーンは変わり、石井は謎のオランダ人に捕らえられ、ある一室に放り込まれ、四つ足の生き物のようなおどりをはじめる。ウィムが日本人の捕虜となったことも関係しているかもしれない。
その後、ウィムのアトリエに場面が移り、白いドレスに包まれて、石井が少女のおどりを披露する。ラストシーンでは、また着物姿の石井が吊るされた男を演じ、物語は終わる。- 上演団体 / 個人
- 石井満隆
- 会場
- アムステルダム市街
- 上演年
- 1976
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The School of Hard Knocks
Venice Film Festival参加作品。振付家の中馬芳子と俳優のジョン・ネッシが、動きやオブジェとの関わりを通して、都市の質感や建築物を探求する。最後に、旅はメイン州の自然の風景へと続き、ジェイコブ・ブルクハルトのカメラは、葉、水、光、そして霧の中に浮かぶいかだの動きをとらえる。
- 上演団体 / 個人
- 中馬芳子
- 演出 / 振付
- 中馬芳子
- 上演年
- 1980
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三条万里子 幽玄空間に舞う 鳥
「能舞台との交響No.1」は、能楽 笛方 藤田流十一世家元藤田六郎兵衞氏により企画され、1987年11月2日に熱田神宮能楽殿で開催された。日本人が造り出した能舞台という古典空間に、現代舞踊家三条万里子が招聘された。「鳥」はプログラム最後の作品である。 1975年の9月に、作品「鳥」はニューヨークのバーナード・カレッジで初演した。一度上演すると、続けていくつもの舞台で踊るよう所望された。百人の小ホールから二千人入る*セントラルパーク・デラコルテ野外劇場まで、様々に異なる条件での「鳥」。一回ごとに、新しい作品として生まれ変わる。瞬間瞬間に、飛び散り砕ける波動のようなものと体がせめぎ合い、舞台空間の不可思議な、まさに異次元的なその場を、もう一度、もう一度と何回も希い、1994年の秋まで踊った。その中でも1987年11月2日の熱田神宮能楽殿での「鳥」は"伝統と逸脱が混在した"忘えぬ公演になった。
九十六歳で世を去ったパブロ・カルザスがアンコールには必ず弾いたと言われる「鳥の歌」は、彼の生まれ故郷カタロニアの民謡の旋律である。清々と透明で、わずかにほろ苦さを含むシンプルなこの短い曲を、くり返しくり返し聴きながら、わたしは内部から惹き起こされる、わたしの動きにめぐりあった。翔べても翔べなくても、翔ぼうとする意志.... 反復の中で主題は螺旋状に上昇している。必然的な動きが溢れ出た。「動作には寸分の無駄もなく、すべての動きが絶妙で優雅である。」と評価された「鳥」は三条万里子の代表作となった。
*セントラルパーク・デラコルテ野外劇場での「鳥」はThe New York Public Library for the Performing Artsに保存されている。- 上演団体 / 個人
- 三条万里子
- 演出 / 振付
- 三条万里子
- 会場
- 熱田神宮能楽殿
- 上演年
- 1987
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『サティ~ママコ~スル』 ~「マニュアル・ウェイター」ほか
ママコ・ザ・マイム『サティ~ママコ~スル』、1988年の静岡公演より。
ピアニストの大村陽子の企画で、「ジムノペディ」などのエリック・サティの曲に導かれて創作した。
上演作品は次のとおり。
曲芸師 / ワープロとバーコードの間で眼を悪くした思いやり / 茄子の形をした日本人と豆の形をした外国人労働者 / マニュアル・ウェイター / ガラスの城- 上演団体 / 個人
- ヨネヤマママコ
- 演出 / 振付
- ヨネヤマママコ
- 会場
- 静岡市民文化会館
- 上演年
- 1988
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ささやかに幸福・ELCK
1991年5月24日・25日に開催された「米井澄江ダンスパフォーマンス'91」より、24日に上演された「ささやかに幸福(しあわせ)」「ELCK(エルク)」を収録。25日には、この2作の他、新作「Inevitable Fate」等が上演された。
ささやかに幸福(しあわせ):1988年初演。60分。1988年度第20回舞踊批評家協会賞を受賞。ブレヒトの長編詩に導かれ、5組のカップルが繰り広げる人間模様。世の中、予期せぬことは突然やってくる。せめて今の現実を幸せと思おうではないか。
ELCK(エルク):1989年初演、40分。オランダ語で「みな・それぞれ」を意味するブリューゲルの同名絵画から発想を得る。「壊れた地球の上に立ちながらこの世の物体に無駄に欲張る人々。」イヴさえリンゴを食べなかったら…。- 上演団体 / 個人
- 米井澄江
- 演出 / 振付
- 米井澄江
- 会場
- 草月ホール
- 上演年
- 1991
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Golden Powder Show 1993
金粉ショー。1989年のベルリンの壁崩壊の後に、前衛アーティストたちによって占拠され、ベルリンカウンターカルチャーの中心となった旧東ベルリンのタヘレス劇場(1990-2012)に招待され、上演されました。ダンスへの補助金がほとんど出なかった70年代、80年代に舞踏家の多くはキャバレーダンスによって、生活費や公演の制作費用を稼いでおり、金粉ショーはキャバレーダンスのハイライトとも言えます。
- 上演団体 / 個人
- tatoeba
- 会場
- タヘレス劇場
- 上演年
- 1993
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泉勝志ダンスオペラⅠ 午后の饗宴
昭和五十五年度文化庁芸術祭参加作品。折田克子が演出・振付し、泉勝志のダイナミックな構成力とナイーブな細部を見事に引き出している。肉体に共棲する基督と猶太の混沌を最も深刻に自覚する舞踊家、泉勝志にとってこの世紀末に訪れた凪いだ時代は、逆説的にふさわしい。孤高の存在として饗宴を主幹し、舞台で風を切り駆走しなければならない真の悲惨が予定されている。饗宴は招集されたばかりである。テス・ダンスシリーズ No.21 。
- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 折田克子
- 会場
- 赤坂草月ホール
- 上演年
- 1980
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魂魄
石井みどりの初期の作品に「ひめゆりの塔」があるが、時を経て直接的な表現から抽象的な表現に昇華させた作品が「魂魄」。フォーレのレクイエムを使用した鎮魂の舞で、戦争の悲惨さを憂い、また人々を踊りや音楽で癒したい気持ちが強く表れた作品である。石井は戦時中、作曲家古関裕而等と共に東南アジアに慰問公演にも行き、国内でも舞踊団として慰問公演を数多く行った。
- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 石井みどり
- 会場
- 郵便貯金ホール
- 上演年
- 1987
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Commercial Eruption
中馬芳子が取り上げるのは、アンディ・ウォーホルが口にした「名声の15分」。1980年代の論理に照らして誇張し、与えられるのは15分ではなくたったの10秒である。その中で様々な主人公達があの手この手で自分や個人的に手本とする人を売り出す。肥大化する資本主義の広告戦略への言及に、批判と皮肉が入り混じる。
- 上演団体 / 個人
- 中馬芳子
- 演出 / 振付
- 中馬芳子
- 上演年
- 1982
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小懺悔
1985年に開催されたButoh Festival '85(『舞踏懺悔録集成』ー七人の季節と城ー)にて上演された。プログラムの五井輝の言葉には次のようにある。
「夢うつ太鼓の雄叫びに / 肉は舞えども 心は踊らず / 陽光と陰影の 狭間で揺れる肉体は / 現し世の陽炎 / 形骸と化した肉体は / 醒めた欲望を蜂起する
あらかじめ失われた夢から / 解き放された肉体は / 吹き晒しの孤舞となる」
「小懺悔」というタイトルには、肉体を土壌に戻し、腐らせ、そこからもう一度掘り起こすという発想が込められている。
- 上演団体 / 個人
- 日本文化財団
- 演出 / 振付
- 五井輝
- 会場
- 有楽町朝日ホール
- 上演年
- 1985
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好色69代女〜西鶴もどき
日本文化の研究者のジョン・ソルトの演出で、井原西鶴の「好色一代女」を下敷きにした舞踏作品。江戸時代に生きた人たちの感情を舞踏表現に昇華することを目指して、主演の元藤燁子にとっても新境地というべき作品となる。三味線と唄の西松布咏を客演に迎え、高田恵篤とアスベスト館の舞踏手たちが加わり、小唄、端唄、地唄、それに現代詩で西鶴の男と女の世界を現代に生かした作品。
- 上演団体 / 個人
- アスベスト館
- 演出 / 振付
- ジョン・ソルト、元藤燁子
- 会場
- アスベスト館
- 上演年
- 1999
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現代ダンス狂言 巷かくるる八百万の~狐の巻
上田遥ダンスリサイタル2。
オリジナル台本・全編オリジナル曲・生演奏で送る現代ダンス狂言。演劇、バレエ、人形劇を結びつけ、ダンサーは演者と黒子の二役をこなし、台詞も言えば歌も歌う。道化の狐を進行役に、コミカルでファンタジックに現代日本を描く。前半の第一巻「ひとめぼれ一世一代純情篇」は1995年に初演し好評を博した狐と兎の恋を描く作品の再演。第二巻の新作「冬枯れ望郷篇」では、金満家の狸と庶民の狐との悲喜こもごもを綴る。1997年度(第29回)舞踊批評家協会新人賞受賞。
「ひとめぼれ一世一代純情篇」あらすじ(狂言の大曲「釣狐」をヒントとする)
誰からも忘れかけられている都会の稲荷に住む古狐。かつての恋女房は、人間の銃弾で生命を落とし、自由に遊び回って過ごした林や小川も、都市開発のもと、コンクリートのビルの下に消えていった。
そんな稲荷に、芸者に姿を変えて生きているウサギが、月に帰ることを願って参拝に来ていた。そのウサギに一目惚れした古狐は、歌舞伎役者の団十郎に変身して、ウサギに思いを告げ、2匹は結ばれる。
そして、古狐は自分の力の源である尻尾を引っこ抜き、ロケットへ変身させ、ウサギを月に返してあげる。もはや、息もたえだえの古狐は稲荷の中へ消えていく…。- 上演団体 / 個人
- 上田遥
- 演出 / 振付
- 上田遙
- 会場
- 青山円形劇場
- 上演年
- 1997
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ゲリラ・クヨクヨがおんねん
行政の不手際で若干30歳で非業の死をとげた役者ゲリラ・クヨクヨの追悼公演。
- 上演団体 / 個人
- 劇団態変
- 演出 / 振付
- 金満里
- 会場
- 吹田市民会館
- 上演年
- 1985
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月下の畝
北方舞踏派公演。
「月光を浴びて 私は立つ
種子のいのち、いのちの種子は / 確実に封印されるであろう
夜、蝶たちは / 海峡を渡るという
私がおどるのではなく、すでに / 肉体はおどりへ誘われているのだ
無数の満月と 永遠の血の交換が / 為されているように
そのように舞踏は舞踏されればよい」(ビショップ山田 プログラムより)- 上演団体 / 個人
- 北方舞踏派
- 演出 / 振付
- ビショップ山田
- 会場
- 道新ホール(札幌)
- 上演年
- 1982