作品一覧
-
北方舞踏派舞踏紀 1975-1989
北方舞踏派の代表作を抜粋した映像集。
「塩首」(1975)、 「月下の畝」(1982)、「鷹ざしき」(1984)、「蝦夷面」(1989)の4作が収められている。
「塩首」は初演の第1日目よりの記録で、ビショップ山田が黒塗りで登場する。2日目は土方の指示で白塗りになったが映像が残されていない。「蝦夷面」の部分は「My Heart Beat」というタイトルが付けられている。- 上演団体 / 個人
- 北方舞踏派
- 演出 / 振付
- ビショップ山田
- 上演年
- 1975
-
Hot Key
TOKYO DANCE SCENERY参加作品。中国北宋時代の廓庵禅師によって、禅修行を牛と牧童の関係で暗喩的に10枚の絵と共に描かれた、十牛図をモチーフに作られた。舞台上には宇野萬によって製作された、蹄の無い4頭の牛がいる。絶望的な闘いの後に得たものは何か?その時初めて彼は絶対無(空)に到達する。禅宗の難テキストに正面から挑んだ名作で国内公演はもとより北中南米大陸、フランスにて大好評を得た。
- 上演団体 / 個人
- 宇野萬
- 演出 / 振付
- 宇野萬
- 会場
- TOKYO FMホール
- 上演年
- 1992
-
放下(ほうげ)9
第2回OSAKA DANCE EXPERIENCE参加、岩下徹ソロダンス公演。
「一、無音であること。一、即興であること。一、1時間1本勝負であること。一、直径2mの光の輪の中で踊ること。一、周囲を観客に囲まれていること。以上の条件のもとで踊ります。私のダンスにとって真に必要なものとはいったい何か。そんなことを自らに問いかけるためにこの試みは始まりました。かつて身体ひとつになってしまったところから始まったのが私のダンスなのですが、音楽もない小さな照明のなかから、はたして何を伝えることができるのでしょうか。そのことがはっきりと問われるに違いありません。私にとってダンスとは何であり、また何であるべきかということをいつも問い続けていたいと思います。」- 上演団体 / 個人
- TORII HALL
- 演出 / 振付
- 岩下徹
- 会場
- TORII HALL(トリイホール)
- 上演年
- 1996
-
鼈甲飴
土方巽メソッド研究会舞踏公演。
「アスベスト館の元藤さんから、今年のはじめに、”和栗君、ワークショップを開講しませんか”というお誘いを受け、私が八年間居住まいをさせていただいたこの館に再び戻ることになり大変嬉しく思っております。四月から週一度のワークショップが始まり随分と人の出入りもありましたが、ここに一騎当千の若武者達を揃えまして”土方巽メソッド研究会”と名づけましたこの会の第一回目の公演を打つはこびとなりました。土方先生にとっては孫弟子にあたる彼らと共にアスベスト館の舞台に立つということで私はさらに力づけられるのであります。鼈甲飴とはフォルムのことですが、それは人の形を指しているのです。一人一人が自分の形を見つけ出す、そうあってほしいという思いをこめて名づけました。私も飴職人として存分に腕をふるわせていただきます。」(和栗由紀夫)- 上演団体 / 個人
- 好善社
- 演出 / 振付
- 和栗由紀夫
- 会場
- アスベスト館
- 上演年
- 1991
-
反閇 -HEN BAI-
Mamu Festival参加作品。反閇とは陰陽道に於いて出行や鎮めの際に行われた呪術である。後に神道や密教、さらには、有職故実の世界などにも流入し、現在でも力士の踏む四股が反閇に淵源を辿ることができるとされている。宇野萬はここにヒントを得て作舞した。冒頭のソロはロープで身体を支え反重力のモチーフと思われ、男二人のシーンは口と尻をチューブでつなぎ循環する管・筒がモチーフと思われる。後半に3人で白い衣装のシーンは塩を撒き祓いのイメージが見られる。前作Hot Keyラストシーンの陰陽舞からさらに陰陽の世界を展開した作品といえる。ドイツにて1日の上演のみである。
- 上演団体 / 個人
- Mamu Festival
- 演出 / 振付
- 宇野萬
- 会場
- ゲッティンゲン青年劇場
- 上演年
- 1994
-
BLOOM
エジンバラ フェスティバル フリンジ’96参加作品。AI・HALL自主企画 Vol.81、劇団態変帰国公演。飛田演劇賞パフォーマンス賞受賞。
1996年8月に、エジンバラ・フリンジ・フェスティバルにて初演。「全くビリビリとしびれるような感動にみまわれる」(The Stage紙)「身体の動きというものの美しさ、意味深長さを教えられる。」(The Scotsman紙) 等の絶賛を受ける。その後、更に練り上げ深めつつ、国内各地で上演を重ねた劇団態変の自信作。- 上演団体 / 個人
- 劇団態変
- 演出 / 振付
- 金満里
- 会場
- 伊丹アイ・ホール
- 上演年
- 1996
-
ブランデンブルグ・コンチェルト 他
英国の振付師アントン・ドーリンに「こういうものは観たことがない」「この踊りのためにバッハは作曲したのではないか」といわしめた。それが石井みどりのブランデンブルグ・コンチェルトである。石井みどりのこだわりであるリズムの取り方、「溜め」(リズムの裏をとること)から動くこと、「盗み音」があること、「動中の静であること」、これは日本の伝統的な音のとりかたでもある。本作はこれらを象徴する石井みどり作品の代表作のひとつである。
石井みどり舞踊生活五十周年記念公演の第一部を収録。小品5本(南の月、ゴリウォーグのケークウォーク、うだる、三つのテーマ、四壁)とブランデンブルグ・コンチェルトで構成された。昭和56年度文化庁助成による現代舞踊公演。- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 石井みどり
- 会場
- 国立劇場小劇場
- 上演年
- 1981
-
舞踏よりの召喚 −93起源論−
「コノ作品チョッとヤバいかもしれない。構成上「全裸」の景を置いた。完全な「真っ裸」、ものの勢でそのような仕儀と相成ったが、草月ホールに迷惑係らなくて「ホッ!」とだったかもしれない、イヤそんな事すら考えていなかったろう。今にして憶えばの話。」(武内)
武内靖彦独舞集成・踏業22周年記念リサイタル。40周年には、同じく「舞踏よりの召喚」と銘打って記念リサイタルを開催した。- 上演団体 / 個人
- 武内靖彦
- 演出 / 振付
- 武内靖彦
- 会場
- 草月ホール
- 上演年
- 1993
-
舞踏とは命がけで突っ立ている死体である
タイトルは、土方巽自身が自らの舞踏を表すアフォリズムとなっている。本作は、水戸芸術館での「日本の夏1960―64」の参加作品として、元藤燁子が構成・演出。1960年代前半期の美術における前衛活動を回顧する展覧会に、前衛美術家と協同した土方巽のオマージュとして発表。「肉体の叛乱」のフィナーレのシーンの巨大な写真パネルが吊られたエントランスのフロアで、元藤のほか、大野一雄、大野慶人らが踊った。
- 上演団体 / 個人
- アスベスト館
- 演出 / 振付
- 元藤燁子
- 会場
- 水戸芸術館現代美術センター
- 上演年
- 1997
-
舞踏市~盲泥棒篇~
石井満隆DANCE EXPERIENCE公演。暗黒の中に「肉市」の文字がジワジワと燃えるところから公演が始まる。客席に座る盲目の老婆をさらい舞台に上げ三味線を弾かせ、華麗に舞う石井。その後、黒子4人に抱えられ妖しいストリップを披露する。大きな布を覆った獅子舞のような怪物が舞台を旋回。そして、大鎌を振回す狂気の石井が枯れ草男の正体を暴く。鉄兜を被った男を電気グラインダーで研磨し、火花と黄燐の鬼火が暗闇の世界を華やかに彩る。ラストは出演者をステージ上に並ばせ、石井の感謝の舞いでフィナーレを迎える。
- 上演団体 / 個人
- 石井満隆
- 演出 / 振付
- 石井満隆
- 会場
- 池袋球体劇場
- 上演年
- 1969
-
物質的なものと見ることの自由 (TOKYO SCENE 88)
「ピュアな創作現場とアコースティック・サウンドのコラボレーション」と銘打った「TOKYO SCENE 88」は1988年12月8日~11日まで4組のコラボレーションを展開。
3日目には浜田剛爾のインスタレーション・パフォーマンスと松本清志の即興チェロ演奏のコラボレーションが行われた。
第1部 パフォーマンス(黒い檻の中で<私>は歌う)
第2部 トーク(私の身体に言葉のkissを…)
第3部 パフォーマンス(<私>は檻の外で眠っている)- 上演団体 / 個人
- スタジオ200
- 演出 / 振付
- 浜田剛爾
- 会場
- スタジオ200
- 上演年
- 1988
-
ふり
昭和46年度芸術祭参加作品。その演出・振付に対し、昭和46年度文化庁芸術祭優秀賞。
「ふりー日本の舞踊では、舞・振・踊りと三本の柱にたとえられる分極があります。ふりは、その振を本来の意味のダイナミズムに開放したいものとしてつけられた公演名です。」(プログラムより)
服部公一作曲の本公演オリジナル曲を含んだ楽曲を手塚幸紀指揮のオルケストル・ソノーㇽ(録音素材)、美術を当時新進気鋭のジェームス・川田が担当。ダンサーは女性10名、男性12名で、衣装はシンプルなレオタード、タイツであった。- 上演団体 / 個人
- 若松美黄・津田郁子自由ダンス
- 演出 / 振付
- 若松美黄、津田郁子
- 会場
- 朝日生命ホール
- 上演年
- 1971
-
フランケンシュタインの寓話
昭和55年度文化庁芸術祭参加作品。
博士の生命に対する執着から産み出された不完全な生命体の物語。
愛する人の死を受け止められない。愛する人と過ごす幸せな未来を願う人々。
生から死、死から生の輪廻の輪から外され壊れていく一人の男。
命と云う神秘に見せられ、ただ全てを知りたかった一人の博士。
恐ろしく悲しい物語だ。- 上演団体 / 個人
- 若松美黄・津田郁子自由ダンス
- 演出 / 振付
- 若松美黄、津田郁子
- 会場
- 読売ホール
- 上演年
- 1980
-
梟の唄
折田克子舞踊公演より。折田克子は縁起物といわれる「梟」を収集していた*。梟はギリシャ神話においては女神アテーナの象徴であるとされる。その梟を題材にし、梟の特性である夜行性、神秘性などを空間の中にどのように構築していくか、の追求のさまが描かれる作品である。
*生きた梟は含まない。- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 折田克子
- 会場
- 草月会館ホール
- 上演年
- 1980
-
Five Car Pile-Up
1983年にニューヨークのセントマークス教会で100名のパフォーマーによって公演された作品を元に、よりそのパフォーマンスを凝縮、様々なアングルやスローモーション、モンタージュ、サウンドスケープなどを駆使し、私たちが目にする空間をはるかに超えた空間を包み込む新しい映像的コレオグラフィーを創り出した。
- 上演団体 / 個人
- 中馬芳子
- 演出 / 振付
- 中馬芳子
- 上演年
- 1983
-
ピクニックから/ Solo&Soul
第4回OSAKA DANCE EXPERIENCE・DANCE BATTLE ~ダンス以前・ダンス以後~参加作品。
山崎広太「ピクニックから」:
都会の地下道で繰り広げられる、男の子たちの匿名的な饗宴。やがて、一人去り、二人去ってゆき、最後に取り残された男が、""見えない誰かのために踊る""つかのまのダンス。97年7月、東京:青山スパイラルにて発表した『ピクニック』から、山崎のソロを展開させ、同年8月、アメリカのベイツ・ダンスフェスティバルやロサンゼルスで、好評をえたものです。
森美香代「Solo&Soul」:
様々な想いとイメージがからだの中で絡み合い、交錯する。そしてそれらはからだを通して一つの具体的なかたちとして自分の外に生まれ出る。そのとき発生する感情からのエネルギーとからだ自身の思考とのずれに揺り動かされた全体的思考は、もはや私の意識の支配を離れて思いがけないところへと膨らんでゆく。私は、この私の意図したこととは無関係に立ち現れるものに、こころの四股をひらいて出会いたい。- 上演団体 / 個人
- TORII HALL
- 演出 / 振付
- 山崎広太 / 森美香代
- 会場
- TORII HALL
- 上演年
- 1998
-
Pikka Don
ニューヨークの「The Kitchen」で発表されたソロ作品をビデオカメラ用にデザインしたパフォーマンス。
- 上演団体 / 個人
- 中馬芳子
- 演出 / 振付
- 中馬芳子
- 上演年
- 1982
-
ピエタ’97
由良部正美舞踏公演。第3回OSAKA DANCE EXPERIENCE(前期)に参加。
「去年に引きつづき""ピエタ""をダンスエクペリエンスで踊るわけですが、ピエタというイマージュは、もう十数年私の中で生きつづけ、なおその謎を深めながら変容しつつ、私を招きながら私が踊る動機にすらなっているのです。""ボクハ アナタガ ケッシテフリムカナイコトヲシッテイル。シカシ ボクガ シ ヲ ムカエルトキ ボクヲ ダクノガ アナタデアルコトモシッテイル。"" 腐爛していく記憶の中になお消すことのできないものがあります。消えなんとする瞬間に光り輝くなにものか、夢の底の底で飛散する鏡。そこから八方に渦巻き翔び立つ龍影。」- 上演団体 / 個人
- TORII HALL
- 演出 / 振付
- 由良部正美
- 会場
- TORII HALL
- 上演年
- 1997
-
昼の月、夜の月、朝の月
折田克子ダンスリサイタル。生きながら死んでいる少女は無数に散りばめられたパラソルに紛れ乱舞する…… パラソルは、いつしか真紅の曼珠沙華になりカラカラと風になく風車に…… 十一面観音にみとられ、少女は湖底に横たわり、虚空には夜の月がのぼる。──月をめぐり、くりひろげられる少女と青年の混沌への道行き。形体(フォルム)と混沌(カオス)の本質的な出会いをめざす折田克子のダイナミックな豊穣の世界。
1980年代の折田は、台本・今野裕一、美術・前田哲彦、照明・沢田祐二等々をブレインに迎え、作品を展開した。- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 折田克子
- 会場
- 赤坂草月ホール
- 上演年
- 1980
-
火の中の卵(再演)
処女舞踏公演4部作「葬送シリーズ」のうちの「火葬」。原作:スタニスラフ・ド・ガラ咀嚼公夫人。
チラシにはエルネスト・サバト「トンネル」からの抜粋が掲載されている。
「…冷酷なほど厳然として / 目的地に向って航路を保ち続ける、船長の姿を想像してください。 / でも / なぜその目的地に向かうのか / 分かっていないのです。」- 上演団体 / 個人
- 吉本大輔
- 演出 / 振付
- 吉本大輔
- 会場
- 友愛会館
- 上演年
- 1984