作品一覧
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DARK BOX -闇の中の庭園
壁は印画紙で覆われている。真っ暗な中で踊りが始まり、緑のライトが点滅した後に明かりが点くと、壁に滑川五郎の踊る姿が焼き付いたいくつもの像が現れる「Dark Box」はそんな仕掛けのある作品。シードホールでの上演日は不明だが、1986年6月20日にはカリフォルニア大学サンディエゴ校のマンデヴィル・センターで、1987年には鈴江組倉庫でも上演された。鈴江組倉庫の公演では、印画紙の壁は左右30メートルにも及んだ。
- 上演団体 / 個人
- 滑川五郎/ アウストロアーツアソシエーション
- 演出 / 振付
- 滑川五郎
- 会場
- シードホール(東京渋谷)
- 上演年
- 1986
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ダンサーは消える ダンス1983-2017
編集者でもあった室野井が2017年に58歳で亡くなった翌年、踊りや身体をめぐって公的私的に綴られたエッセイをまとめた本『ダンサーは消える』が発行された。室野井洋子にはソロ公演の写真や動画が多く残されているが、本作は同名タイトルのビデオアンソロジーで、1983年の初舞台から2017年のギャラリー犬養(札幌)での踊りまで、順にその軌跡を辿る。ギャラリー犬養はオープン時からつきあいが深く、室野井が他界する直前の「あの世のできごと」も、同ギャラリーでの開催だった。
- 上演団体 / 個人
- 室野井洋子
- 演出 / 振付
- 室野井洋子
- 上演年
- 1983
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ダブル・バインド -アシタ-
1982年に中野テルプシコールで始まった川仁宏と田中トシのデュオユニット・マウスピースはその後、加藤啓、古屋俊彦などのコラボレーションを得て継続した。 アントナン・アルトーに触発された声の身体性と即興ライブをひとつの系として、ジャンルの横断と、複数の関係のまん中から生まれ消えるライブパフォーマンスを実験した。「ダブル・バインド」は実質的にマウスピースとして最後の活動となった。
「STUDIO 200 LIVE PIECES」として6月24日・25日に上演された、25日の映像。前日にいた仔豚は朝に死んでしまい、この日はいなかった。- 上演団体 / 個人
- スタジオ200
- 演出 / 振付
- マウスピース
- 会場
- スタジオ200
- 上演年
- 1983
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ダブル・バインド -キノウ-
1982年に中野テルプシコールで始まった川仁宏と田中トシのデュオユニット・マウスピースはその後、加藤啓、古屋俊彦などのコラボレーションを得て継続した。アントナン・アルトーに触発された声の身体性と即興ライブをひとつの系として、ジャンルの横断と、複数の関係のまん中から生まれ消えるライブパフォーマンスを実験した。「ダブル・バインド」は実質的にマウスピースとして最後の活動となった。
「STUDIO 200 LIVE PIECES」として6月24日・25日に上演された、24日の映像。この日いた仔豚は翌朝死んでしまい、2日目にはいなかった。- 上演団体 / 個人
- スタジオ200
- 演出 / 振付
- マウスピース
- 会場
- スタジオ200
- 上演年
- 1983
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堕天使 [泉勝志の世界]
モーリス・ベジャールに招聘されて渡欧した泉勝志がヨーロッパで活躍後帰国し、初めて発表した作品。サポーターにトゥシューズというスタイルを本作品で確立した。泉は自らが見た夢を数多くの絵画に残していたが、イメージのコラージュが溢れ出る作品となっている。テス・ダンスシリーズNo.10 。
- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 泉勝志
- 会場
- 三百人劇場
- 上演年
- 1979
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楕円幻想
和栗由紀夫+好善社舞踏公演。
想いはいつも楕円である。近づきまた遠のいてゆく距離。存在とは距離に他ならないのか?いくつもの楕円が重なり合う。生と死、光と影、そして写し撮られた私が肉体という迷宮をさまよう。舞踏と映像の引力と斥力がそこでは激しくぶつかる。内部が外部に溢れ出してゆく影の洪水。内部を持たない外部の始まり。それらの事件は舞台上で起こる。その時、大きな楕円はグラっと傾く。(和栗由紀夫)
「実」と「虚」、この不可解な世界を肉体と映像で表現する。映像は、迷宮を彷徨うダンサーにもう一人の自分がいることを暗示させ、その葛藤へと誘う。(映像集団鑪TATARA 村松保宗)- 上演団体 / 個人
- 和栗由紀夫+好善社
- 演出 / 振付
- 和栗由紀夫
- 会場
- 愛知県芸術劇場小ホール
- 上演年
- 1996
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Dialogue
米井澄江ダンスパフォーマンス。横浜市の市政100周年、開港130周年を記念して開催された国際舞台芸術フェスティバル・ヨコハマアートウェーブ’89にて上演。カンディンスキーの抽象画のイメージを体で表現した作品。 音楽は、チェンバーロックバンド「ZYPRESSEN」(ツィプレッセン)がオリジナル曲を生演奏した。
- 上演団体 / 個人
- ヨコハマアートウェーブ’89〜横浜国際舞台芸術フェスティバル
- 演出 / 振付
- 米井澄江
- 会場
- 横浜大桟橋
- 上演年
- 1989
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Terminal Paranoid
舞踏ダンスシアタープロジェクト。グラーツ市の寄宿学校の廃校を舞台に行ったサイトスペシフィックパフォーマンス。
サンクト・ペテルブルグ市よりEugeny Koylovを共同振付家として招聘し、吉岡由美子のワークショップ生と2週間合宿して創作。美術家Joachim Mangerのインスタレーションも力強いエレメントとなって踊りと絡み合った。1995年より年に一度開催されている同様のプロジェクトの第2弾。飛行機の修理場にも使用された巨大な採石場での第3弾は、残念ながらビデオが失われた。- 上演団体 / 個人
- tatoeba
- 演出 / 振付
- 吉岡由美子, Eugeny Koylov
- 会場
- オーストリア・グラーツ市の廃校
- 上演年
- 1996
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タビネズミの行進
タビネズミはレミングス同様、異常発生が起こると集団で移動し、時には河などで大量死するという生態を持つ。これは繁殖を適正に調整する淘汰の一種との説をも生み、人類の文化史観に影響を与えている。
作品はタビネズミにおける死の舞踏を描く。
異常発生のさなか、突如、舞踏狂が巻き起こる。盲目のネズミ(若松)を除く全群が乱舞。やがて群れは嬉々として川に飛び込み溺死する。佇む盲目のネズミ。一転、人間に変身。
場面は街角。傍らを、幼児の手をひいた妊婦が通り過ぎる。- 上演団体 / 個人
- 若松美黄・津田郁子自由ダンス
- 演出 / 振付
- 若松美黄、津田郁子
- 会場
- 東京郵便貯金ホール
- 上演年
- 1989
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立つ
反復しながら動きの緩急やアクセントの変化を試みた、ソロ作品。
- 上演団体 / 個人
- 厚木凡人
- 演出 / 振付
- 厚木凡人
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鷹ざしき
ビショップ山田舞踏公演、四季の柩その一、春。土方先生に捧げる夕。
雪摺りの縁茫然とボケ七面鳥が鷹となり
雪のはからい (ビショップ山田)
北国の鷹匠をモチーフにした作品。鷹のイメージの元となっているのは、1975年に山形県で上演された北方舞踏派結成記念公演「塩首」に、土方巽が生きたまま連れ込んだ七面鳥。そのまま稽古場で飼ったが死んでしまった。
土方が振りを全て変え、鷹匠の妻役と同時に女鷹役を務めた雪雄子は、土方から魂が乗り移っていくような気迫のある舞台だったと回想している。- 上演団体 / 個人
- 北方舞踏派
- 演出 / 振付
- ビショップ山田、土方巽
- 会場
- 草月ホール
- 上演年
- 1984
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タオ
折田克子現代舞踊公演。ダンス・パフォーマンス東京'85「タオの祭」参加作品。
折田克子は稀にみるオリジナリティを有した現代舞踊の作家である。新作「タオ」は、79年作の「憶の市」にみられた儀式性を、開かれた場に移している。人間の内側のメカニズムと内在するドラマを、ダンサーと振付者の作業のなかで、外容化し顕現する。それらの交叉するコアで起こり得るものの探索である。タオは過去に記憶をもった異端者達に古代の夢を見、精神を未来に開く。(公演プログラムより)- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 折田克子
- 会場
- 俳優座劇場
- 上演年
- 1985
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体(たい)
ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」、石井みどりの振り付けはよくある生贄の物語やスペクタル舞踊でない、石井みどりが名曲から得たインスピレーション、「自然と生命力」がテーマとなっている。ダンサーたちの曲線と直線のせめぎあい、重心移動によって運ばれる足、中心から裏へ身体を使うさま、動中の静などがみどころで、身体がとらえる表現の最終章は、みごとな人間讃歌となっている。
映像は、1961年初演の1983年版、「石井みどり舞踊公演」にて上演。1962年4月、芸術選奨受賞。主演の折田克子はこの作品でモダンダンス初の芸術祭個人演技賞を受賞。2015年、2018年に開催された一般社団法人現代舞踊協会主催のダンスアーカイヴ公演でも再演され、色褪せることのないダイナミックな生命力を感じる力強い作品と好評だった。- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 石井みどり
- 会場
- 郵便貯金ホール
- 上演年
- 1983
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ソドム百二十日
同年1月の「舞踏作品集Ⅰ 悲惨物語」に続き、澁澤龍彦訳のマルキ・ド・サドの代表作「ソドム百二十日」を踊る。笠井叡は3月10日に『神々の黄昏』を上梓。笠井はその中で、サドの無垢性に触れている。
5月には舞踏作品集Ⅲとして「死美人-エドガー・アラン・ポーに寄せて」が上演されるが、その後まもなく、笠井は天使館を一時封印し、オイリュトミーを学ぶために渡独する。- 上演団体 / 個人
- 天使館
- 演出 / 振付
- 笠井叡
- 会場
- 第一生命ホール
- 上演年
- 1979
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서울(ソウル)エロチカーアジュンマの乳房ダランと半島のカタチ
第2回OSAKA DANCE EXPERIENCE参加、桂勘&サルタンバンク舞踏公演。
「太古より日本人の背後には白い影が複数つきまとっている。それは韓半島に足を踏み入れた瞬間、生き生きと輝き始める。この白く輝く影は決して怒りをあらわにしているのではない。我々はただ静かに耳を傾けたい。」- 上演団体 / 個人
- TORII HALL
- 演出 / 振付
- 桂 勘
- 会場
- TORII HALL
- 上演年
- 1996
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Splish Splash
『スプリッシュ・スプラッシュ』のパフォーマーたちは、コンピューターゲーム『パックマン』のアニメーションの動きを再現しているかのように、さまざまな場面で、幻影的で、部分的に反復的な動きのパターンを見せる。素早くシュールなビジュアルイメージと象徴的な小道具は、エンターテインメント業界に対する謎めいたコメントを生み出している。
- 上演団体 / 個人
- 中馬芳子
- 演出 / 振付
- 中馬芳子
- 上演年
- 1982
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鈴蘭党 舞ひみぞれ
『鈴蘭党写真集 舞い舞いLOVE-闇する白き舞姫たち』出版記念公演(1981年10月30日発行)。
「鈴蘭党」は、ビショップ山田主宰の北方舞踏派を母体とした、雪雄子をリーダーとする女性舞踏集団。鈴蘭が可憐且つ猛毒があるということから命名された。
豊玉伽藍は練馬区豊玉にあった大駱駝艦の稽古場である。- 上演団体 / 個人
- 北方舞踏派
- 会場
- 豊玉伽藍(東京)
- 上演年
- 1981
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裸足のカノン
石井みどり舞踊公演にて上演。折田克子がパッヘルベルのカノンに振付けた群舞作品。空間に広がりのある振付に時折印象的な仕草が混ざり、裸足の少女達の戯れが清々しい。音楽を伴奏として扱うことなく音楽と溶け合うような一体感のある作品である。
- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 折田克子
- 会場
- 郵便貯金ホール
- 上演年
- 1983
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ジーキル博士とハイド氏の寓話
昭和56年度文化庁芸術祭参加作品。その演出に対し、昭和56年度文化庁芸術祭優秀賞。
誰もが完全な善ではいられない。誰もが内に持つ善と悪。
ジキルとハイドは悪の甘美な誘惑に負け罪を犯してしまう。最初は小さな罪を。やがて大きな罪へ。
ジキルとハイドの最後は首吊り自殺だ。ユラユラと揺れる身体は善と悪の間で揺れる2人の心のようだ。- 上演団体 / 個人
- 若松美黄・津田郁子自由ダンス
- 演出 / 振付
- 若松美黄、津田郁子
- 会場
- 読売ホール
- 上演年
- 1981
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女中たち
舞踏舎天鶏スペシャル、第4回OSAKA DANCE EXPERIENCE参加作品。
“全てはオソレとコウテツの仕草で物語れる”この作品は、フランス前衛演劇の傑作、ジャン・ジュネの戯曲「女中たち」から構想され、昨年11月に東京で初演されました。ジュネの言葉に誘導され、大胆に読み変えられ、「三人の女中たち」は交差し、共有しあい、孤立し、そしてのぞきこみ、開示します。私の中の私、私の中のあなた、〈女の中〉。勝又敬子(草芥塾)、桜井ゆり(族長の足袋)を招き、田中陸奥子と三者三様の個性がぶつかり合う女性舞踏の饗宴です。- 上演団体 / 個人
- TORII HALL
- 演出 / 振付
- 鳥居えびす
- 会場
- TORII HALL
- 上演年
- 1998