作品一覧
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Wanderlust – 風来
オーストラリア・アデレード在住のリー・ウォーレン、山口市在住の宇野萬。1996年第1回の日豪ダンスコラボレーションの出会いから10年、共に50代半ばを迎えた日豪のベテラン振付家が奇しくも3年前同時期の病から復活。松尾芭蕉の「奥の細道」を改めて紐解き、「月日の旅、百代の過客」を、両国での滞在制作を経て、ダンス、映像、衣裳、音楽のコラボレーションとして繰り広げる。
- 上演団体 / 個人
- アンクリエイティプ
- 演出 / 振付
- リー・ウォーレン、宇野萬
- 上演年
- 2006
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One’s Solo Blue
「踊りは常にその一回生(性)に賭けて」いるが、この作品は稀な独舞のレパートリー。1993年の秋に初めて劇場舞台で10分ほどのソロ作品に取り組み、クセナキスの音楽で踊った。この機会に照明効果を巧みに使い、人形振りを意識して、朝露の一滴に籠った空(sky)をイメージした作品。
1994年以降、この作品は他の作舞家七人の作品と共にイタリア十数箇所、イスラエル数箇所、アメリカ各地を巡業した。映像はイタリア、ミラノでの公演記録。作品の冒頭、暗転暗闇を数分間の全力疾走で「はぁーはぁー」息を上げている場面があるが、その箇所はカットされている。- 上演団体 / 個人
- 小栗直之
- 演出 / 振付
- Oguri
- 会場
- ミラノ
- 上演年
- 1994
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Wallow(這う)-dance for camera-
エイコ&コマの映像作品(シリーズ「dance for camera」)。1977年の舞台作品FUR SEAL(オットセイ)を映像化予定だったが、撮影現場で動きをつくり直した。1983年11月に、野生のオットセイが棲息するカリフォルニアのポイントレイズ国定海岸でピーター・ヤプルの協力を得て撮影し、1984年3月、ARC Videodance(ニューヨーク)のジェフ・ブッシュの協力で編集した。元々は無音の予定だったが、エイコが波の音を挿入。アメリカ合衆国の国立芸術基金による助成を得て作品として結実した。
- 上演団体 / 個人
- Eiko & Koma
- 演出 / 振付
- Eiko & Koma
- 会場
- ポイントレイズ国定海岸にて収録
- 上演年
- 1984
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ワラズ譚
舞踏を再考しようと大阪で1995年から2000年まで6回開催されたOSAKA DANCE EXPERIENCEの第1回参加作品。栗太郎率いる古舞族アルタイは、前年に北海道から活動拠点を関西に移し、栗太郎は丹波に移り住んでいた。「ワラズ」は丹波篠山の方言で藁のこと。農業と建築業をやりながら、お百姓や田舎をテーマにした作品を作りたかったという栗太郎は、そう言った暮らしの中で救いようのない現実に内面的な救いを求めることをテーマに作品化した。
- 上演団体 / 個人
- TORII HALL
- 演出 / 振付
- 栗太郎
- 会場
- TORII HALL
- 上演年
- 1995
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笑いの箱
若松美黄ソロ・リサイタル。「ダンスがみたい!」参加作品。
「大学卒業後53年。一日に1~2回は笑うから、合わせて四万回近く笑った勘定になる。
その笑いを棺に詰めあの世に旅立つ人生を考えています。」(若松談)
自由ダンスを提唱する若松の、エッセイ風なダンス。
地蔵像の前の踊りから始まり、門下生のオペラ歌手が歌い、若松が歌い、自作の詩とエセ―ニンの詩が朗読され、若松が呟き、客席やバックヤードで弟子達が合唱する。
「歌って踊るというのではなく、人生のあがきでもあります。少し言いたいことがあるプリコラージュな身体」
夕焼けの中で、一人踊る。- 上演団体 / 個人
- 若松美黄・津田郁子自由ダンス
- 演出 / 振付
- 若松美黄
- 会場
- d-倉庫
- 上演年
- 2009
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WHAT’S NEXT~滑川五郎・舞踏家
注目すべきアーティストを紹介するテレビ朝日のイメージ・ドキュメンタリー「WHAT'S NEXT」で滑川五郎を取り上げた。
1988年にオーストラリアで開催された万国博覧会で上演した「ナトゥーラ・モルタ(死せる自然)」、1989年の巣鴨とげ抜地蔵でのストリートパフォーマンス、1990年10月に品川で行われたワークショップ「記憶の身体術」の映像を収録。- 上演団体 / 個人
- 滑川五郎/ アウストロアーツアソシエーション
- 上演年
- 1990
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わたしのお母さん
大野一雄舞踏公演。「わたしのお母さん」は、「ラ・アルヘンチーナ頌」と共に大野一雄の代表作で、1981年初演。西洋料理を得意とし、琴をよくしたモダンな母親の想い出が核となっている。プログラムには、幼い子供達を亡くし拝む母のこと(「花電車」)、死の床にある母の言葉(「遺言」)などのテキストが掲載され、具体的なモチーフを伺い知ることも可能だが、舞台上の動きは抽象的である。作品中に登場する「おぜん」は、母を象徴している。
- 上演団体 / 個人
- 大野一雄舞踏研究所
- 演出 / 振付
- 大野一雄
- 会場
- 第一生命ホール
- 上演年
- 1981
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わがうちなるシルフィード
昭和53年度文化庁芸術祭参加作品。
「昭和28年、初舞台はレ・シルフィードでした。そのせいか私にとってシルフィードは青春の響きを持っています。イサドラ・ダンカンのショパン集をフォーキンが監修、グラズノフやケラーがショパンの曲をバラバラに変造し組曲を創り上げ、ラ・シルフィードをもじってレ・シルフィードと名付けた。これはモダンバレエの始まりでもあります。
羽衣、シルフィードともに男性の理想だった。理想は現実となった時消え去り、達することのできない理想ほど美しい。
ヨーロッパでショパンを何度も聴くうち、崩壊の美学として感じられるようになった。私の中の無力感・孤独感に美しく優しく語りかけ、いかなる危機感をもカバーしてくれそう。落ちこぼれた野の花という心境です。由良一夫、前田哲彦、いながき・かつひこ、皆それぞれのイメージで参加しています。どこか淋しい男達です。」(若松美黄ープログラムから一部書き直し抜粋)- 上演団体 / 個人
- 若松美黄・津田郁子自由ダンス
- 演出 / 振付
- 若松美黄、津田郁子
- 会場
- 読売ホール
- 上演年
- 1978
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LONG DISTANCE LOVE / 遠距離恋愛
東京とニューヨーク。インターネット糸電話で結んだこの作品は、二都市の女性俳優たちが、太平洋や日付変更線を超えて同時にひとつの作品を上演した。
これを遠距離恋愛と言わずしてなんと言おう!これまで様々な空間の劇的ポテンシャルを引き出してきたが、今回は二都市間に横たわる時間や空間までも劇場にちゃえ、というグローバルな心意気の中、開演後、9.11に見舞われ、中断し、ニューヨークの街が復活されないまま、励まし合いながらも再演に向かった。- 上演団体 / 個人
- 指輪ホテル
- 演出 / 振付
- 羊屋白玉
- 会場
- club asia P(東京渋谷)ー Red Lab (NY)
- 上演年
- 2001
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楼閣に翼ーフラマン家の彼方
好善社第二回舞踏公演。
肉体の空隙に寄せて(彫刻家・吉江庄蔵、チラシより)
「舞踏家、土方巽氏に師事して以来、1979年「楼閣に翼」を舞台に好善社を設立。それから彼(和栗由紀夫)はパタリと沈黙し、ひたすら江戸小紋の染めの仕事に入る。そして7年後の今日の出来事である。
1985年、スタジオ200で行われた「東北歌舞伎計画」に参助しながら、浮上する機会を暖めてきた。彼にとっての舞踏が燃焼し始めるこの時期は、亡き土方巽氏を思えば無念の心境であろう。
江戸小紋に染めた肉体が職人のあくなき手作業の繰り返しに顧みたものは何か。伝統を受け継ぐ行為が果たす「個」の夢の対決は。かつて、肉体に見た彼の舞踏が、江戸小紋の伝統にオーバーラップしていく気憶の軋みは。「精神の化石」を建て起こす第二弾、好善社の舞踏が久々に花を咲かせる。「個に復帰するはらわた」に「ときめく空隙」を期待する」- 上演団体 / 個人
- 好善社
- 演出 / 振付
- 和栗由紀夫
- 会場
- テルプシコール
- 上演年
- 1986
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楼閣に翼Ⅳ 人間の水
師 土方巽に捧ぐ、和栗由紀夫+好善社舞踏公演。
「今度、好善社では、楼閣に翼第四弾として、”人間の水”を上演致します。人間の内に流れる生命の起源に遡る旅です。その水は拡がり、凝縮し、動いています。私は、周りを流れる闇や光に出逢いながら、身体の中の、微妙に揺れる星あかりを頼りに、進んでいきます。そこにはどんな風が吹いているのでしょう。私の中の小さな星にも、水は眠っています、夢を見ながら。私達は、生まれた時から、自分を生かし、見守っているものを知っています。今はただ忘却の淵に置き忘れてしまっているのです。私を舞踏という水辺へ引き寄せ、命という力強い流れで、翻弄させた、土方先生は、天界から降りてきたパイロットだったのかもしれません。そして、また青い光を引きながら、昇っていったマレビトでした。私は、舞踏を御覧になる、人、人が、漕ぎ手となって、また船になって、あるときは離れ、引き寄せられて、どんな渦に巻き込まれて行くのか、楽しみであります。それには、私は、舳綱をしっかり引き締めねばなりません。先生の忘れられない言葉に、”自分自身に出逢う旅が、舞踏なのだよ”というのがあります。百人居れば百の旅がある。とても素晴らしいことです。
この公演は、私にとって、初めての土方巽追想公演になります。瀝青の水や、ペパーミントの水を用意してお待ちしています」(和栗由紀夫)- 上演団体 / 個人
- 和栗由紀夫+好善社
- 演出 / 振付
- 和栗由紀夫
- 会場
- アトリエ・フォンテーヌ
- 上演年
- 1990
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Rent a Body- The Last Night of Ballhaus ( レンタボディ- バルハウス最後の夜)
舞踏ダンスシアタープロジェクト。日々ヴォルテージが高まっていった壁崩壊直前のベルリン特別地区の一角にあるバルハウス劇場を借り切って上演されたサイトスペシフィックパフォーマンス。
劇場のあらゆる空間を踊りの場に変容させたいというデルタ・ライの考案を実現するために、総合演出、振付家の古川あんずを招聘。オーディションで集めた46名のダンサーと1ヶ月の稽古を経て上演。連日満員となり、しばし、ベルリン芸術家の間でも語り草となった伝説的作品。- 上演団体 / 個人
- tatoeba
- 演出 / 振付
- 古川あんず
- 会場
- Ballhouse Naunynstrasse(ベルリン)
- 上演年
- 1989
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れんげ村
「モダンダンス5月の祭典」参加作品。
インドの音楽に乗せ、小道具をうまく使いこなしながら軽快な振付が重なっていく。折田克子自身の動きの特徴を存分に見ることができる作品となっている。翌年の1985 年には韓国の舞踊協会に作品を提供し、韓国ダンサーによって再演された。- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 折田克子
- 会場
- 東横劇場
- 上演年
- 1984
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REBIS~花は香炉に打薫じ
山田せつ子と神領國資のデユオ作品。丸太で組まれた櫓と堆積された泥土、置かれた石は古代の祭儀の場所のように見える。動物を模するかのような神領國資の舞踏が生贄のような山田せつ子の舞踏と交差する。
笠井叡が主宰する天使館出身の二人のこの作品は、天使館が踊ることと神秘主義を結びつけた要素が深く刻まれた作品とも言える。東京公演の後、フランス、シャトーヴァロン・ダンスフェステイバルに招聘されている。- 上演団体 / 個人
- 山田せつ子
- 演出 / 振付
- 山田せつ子、神領國資
- 会場
- 東京日仏学院ホール
- 上演年
- 1984
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裂記号6
厚木凡人ダンスリサイタル。五人のダンサーが、暗がりの中、仰向けのまま足を宙にむけて回転させるところから始まる。次第に明るくなるが、この動きは続く。また肩で立ったダンサーたちが反り返ってブリッジになり、床に落ちる。足が床に鋭く大きな音を立てる。それを主軸に、手や足でしきりと床をたたく。ダンサーたちはこのフレーズを繰り返しながら円環をなす。作品の途中、五人が一列、身体を重ねるようにして並び、二、三センチというわずかな歩幅で行進する。
- 上演団体 / 個人
- 厚木凡人
- 演出 / 振付
- 厚木凡人
- 会場
- 上智大学一号館講堂
- 上演年
- 1979
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裂記号2
厚木凡人ダンスリサイタル。
『裂記号』シリーズ(1975−1982)は、1975年の『裂記号』にはじまり、同年の『裂記号2』そして1977年の『DISTANCE』、1978年の『裂記号5』、1979年『裂記号6』、1980年『裂記号7』、1982年『裂記号8』までの8年間に及ぶ。
『裂記号2』初演はユニーク・バレエシアター(1975年7月3日)であったが、その後フランス、ジャンゼリゼ小劇場(1975年国際ダンスフェスティバルに招聘され、Three Mention 受賞)、そして西武劇場(厚木が企画した「DANCE TODAY ’75」)と計3回上演されている。
『裂記号』は造語で、「記号は破られるために」あり、「裂かれる運命に」ある。
- 上演団体 / 個人
- 厚木凡人
- 演出 / 振付
- 厚木凡人
- 会場
- 西武劇場
- 上演年
- 1975
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裂記号5
アーティスト・ユニオンシンポジウム’79参加作品。強い線の光が床を二つに区切り、5人のダンサーが激しく動きを展開する。厚木を中心に、2対のペア、渡辺元と種子島有紀子、有富幸子と江原朋子が並ぶ。
音楽はなく、厚木が呼吸のタイミングをつくる。動きは、駈け出して抱き合い、腹部を両手で叩きつけ、加速させる足摺、足首をつかむ、足裏を合わせる、回転、床運動など、が徹底して行われ、集約されてゆく。休憩をはさんで計1時間強もの運動で、多量の発汗、呼吸困難、意志の制御と拮抗し合う生身の身体が現れる。
初演は1978年9月、上智大学1号館講堂にて。
- 上演団体 / 個人
- 厚木凡人
- 演出 / 振付
- 厚木凡人
- 会場
- 東京都美術館
- 上演年
- 1979
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ラ・アルヘンチーナ頌
大野一雄舞踏公演 。「ラ・アルヘンチーナ頌」は、大野一雄を世界的舞踏家に押し上げた代表作で、1977年初演。「ラ・アルヘンチーナ」とはスペイン舞踊の革新者として知られるラ・アルヘンティーナ・アントニア・メルセのこと。大野一雄が1929年に帝国劇場でメルセの来日公演を見たときの深い感動が創作の源となっている。「頌」は讃えるの意。第9回(1977年度)舞踊批評家協会賞受賞。
- 上演団体 / 個人
- 大野一雄舞踏研究所
- 演出 / 振付
- 大野一雄
- 会場
- 第一生命ホール
- 上演年
- 1977
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Lament(哀歌)-dance for camera-
LAMENTは映像作家のジェームス・バーンとのコラボレーション映像作品。動きはエイコ&コマの1984年の作品ELEGY(悲歌)を改作している。ミネソタ州ミネアポリスのウォーカー・アート・センターからの委嘱を受け、アメリカ合衆国の国立芸術基金とジェローム・ファンデーションからの助成により作品化。1985年7月、ニューヨークのトリプレックス・シアターにて収録、1986年に編集。PBSで全国に配信された。© Eiko & Koma. James Byrne
- 上演団体 / 個人
- Eiko & Koma
- 演出 / 振付
- Eiko & Koma、ジェームス・バーン
- 会場
- トリプレックス・シアターにて収録
- 上演年
- 1986
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LA PARTIDA
人々の喜びや哀しみ、そして生きる権利を歌い、世界から愛されたチリのアーティスト、ビクトル・ハラ。巨大な暴力に抗しない強い意志で、勇気と希望を歌い続け、1973年のクーデターにより虐殺された。民衆の生きる力と普遍的な魂。彼が伝えたものは何だったのか。
同じ芸術家として、この問いにビクトル・ハラの名曲「La Partida」のライブ演奏を背に、地域から這い出てきた公募障害者エキストラの面々と共に取り組み、身体で表現した作品。- 上演団体 / 個人
- 劇団態変
- 演出 / 振付
- 金満里
- 会場
- アステールプラザ 中ホール
- 上演年
- 1999