ダンス映像インデックス
2023年度EPAD事業で収集した200点の映像のデータベースを公開しています。
作品一覧
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岩名雅記ソロ公演アンソロジー 1989-1993年
岩名雅記舞踏ソロ・1989-1993年ヨーロッパ公演の記録。
ヘルシンキ:「即興」1993 / パリ:「すさび」 1989 (Espace Boris Vian)、「冷曲」1990 ・「光の肉」1991 (Théâtre des Amandiers)、「水引に胡蝶」1992 (Théâtre Montorgueil)、「しずがみ」1993 (Lavoir Moderne Parisien)- 上演団体 / 個人
- 岩名雅記
- 演出 / 振付
- 岩名雅記
- 会場
- Espace Boris Vian/Théâtre des Amandiers/Théâtre Montorgueil/Lavoir Moderne Parisie/
- 上演年
- 1989
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丘の麓
舞踊批評家の市川雅がプロデュースした「現代舞踊の異形―肉体の超越と開示」展(1971年10月2日~5日)で上演された、笠井叡と大野一雄のデュオ作品。ビアズリーの小説「ヴィーナスとタンホイザー」を基とした作品で、ヴィーナス役を大野一雄が務めた。2020年3月には大野一雄の身体性を川口隆夫が、笠井叡の身体性を笠井瑞丈が踊り、他の笠井・大野デュオ2作品と共にリ・クリエイトされている。
- 上演団体 / 個人
- 天使館
- 演出 / 振付
- 笠井叡
- 会場
- 青年座(代々木八幡)
- 上演年
- 1971
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すさび
岩名雅記独舞。1989年パリにて初演。「すさび」は「遊び」の意。ダンスシリーズ「装束は水」の1作で、同シリーズの「あわひ」にあらわれた自愛の構造を、能「井筒」に依拠して具体化。性愛の豊饒さと危機感を、七分目に水を入れた5~6個のコップの上に置いた1m四方・厚さ6ミリのガラス板の上で踊る。パリ公演でガラス板を打ち抜いてしまった事件は、2017年に岩名が発表した長編劇映画第4作 「シャルロット すさび」のモチーフのひとつとなっている。
- 上演団体 / 個人
- スタジオ200
- 演出 / 振付
- 岩名雅記
- 会場
- スタジオ200
- 上演年
- 1989
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土方巽とともに
元藤燁子は1959年に土方巽と出会って以来、その踊りの人生を文字通り土方巽とともに歩んできた。同じ年に生まれ、同じ時代を歩んできて、そしてアスベスト館を拠点に、舞踏を創造し、弟子を育成し、観客を生み出す活動をともに行ってきた。その渾身の二人三脚の歩みを懐古して、土方巽に捧げる舞踏の作品とした。舞踏の最初期からともに舞踏活動を担った大野一雄と大野慶人の共演を得て完成した作品。アスベスト館での初演。
- 上演団体 / 個人
- アスベスト館
- 演出 / 振付
- 元藤燁子
- 会場
- アスベスト館
- 上演年
- 1992
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黄泉比良坂(よもつひらさか)
素戔嗚舞踏團結成公演。笠井叡はこの前年1974年7月に「天照大御神への鎮魂の舞ひ」、同年10月に「傳授の門〜現代における秘儀とは何か〜」を発表。「素戔嗚舞踏団九州公演のためのメッセージ」というテキストでは「いったい第二の天岩戸開きの真霊(まひ)がその建速素戔嗚尊御自身の舞でなくして何であろうか。」(『聖霊舞踏』)と書いている。
- 上演団体 / 個人
- 天使館
- 会場
- 目黒公会堂
- 上演年
- 1975
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OUT OFF(しおきばにて&ザ・コレクター)
東京、アビニヨンで上演の伊藤キムと吉岡由美子のコラボ"綺女と珍獣プロジェクト"第2弾。コンセプトはパラレルソロ。同時進行していた二つのソロ(吉岡の"しおきばにて" と伊藤の"コレクター")がいつの間にかデュエットになっていく。両ソロともアウトサイダーたちをテーマに紡ぎ出された境界線上の踊り。Berlin Tages Spiegel 紙は、楽園で追いかけっこをして戯れている者たちの悦楽と追放された者たちの恐怖の両極端が共存"と絶賛。
- 上演団体 / 個人
- tatoeba
- 演出 / 振付
- デルタ・ライ
- 会場
- 東京FMホール
- 上演年
- 1994
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青空舞踊家 ギリヤーク尼ヶ崎
大道芸人ギリヤーク尼ヶ崎は青空舞踊公演と銘打って世界中で踊った。1978年から新宿新都心超高層ビル街三井ビルディング広場でほぼ毎年秋におこなった公演はその原点と言える。本映像は2002年10月13日公演の全編を収録している。ギリヤークが題目を書いた布を示して観客に演目を告げ、踊る構成が繰り返される。観劇料はなく投げ銭である。終演後に観客が地面に投げられたおひねりを集めて、ギリヤークを手伝う姿が収録されている。
- 上演団体 / 個人
- ギリヤーク尼ヶ崎
- 演出 / 振付
- ギリヤーク尼ヶ崎
- 会場
- 新宿三井ビルディング広場
- 上演年
- 2002
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アバカノヴィッチへの手紙
元藤燁子は前年の広島市現代美術館での公演で、野外彫刻として設置されていたアバカノヴィッチの彫刻作品にインスパイヤーされて踊った。その記録映像を見たアバカノヴィッチ自身から元藤のもとに共感のメッセージが届いた。その後、二人は国境を越えて手紙をやりとりして、創造について語り合った。抑圧された精神を内蔵する匿名の群像を舞踏の身体でどう表現できるのか。かくして、二人の演出・振付による舞踏作品が生まれた。
- 上演団体 / 個人
- アスベスト館
- 演出 / 振付
- 元藤燁子、マグダレーナ・アバカノヴィッチ
- 会場
- アスベスト館
- 上演年
- 1994
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アバカノヴィッチへの手紙〜沈黙する肉体
元藤燁子は前年アスベスト館で「アバカノヴィッチへの手紙」を上演。そのアバカノヴィッチと元藤の共同作品が、広島市現代美術館で改訂版として再演され、戦争体験をもとに人間存在を問う作品として、同館の被曝50周年記念展のオープニングを飾った。本作は、「沈黙する肉体」のサブタイトルをもって、アバカノヴィッチの人体彫刻の無名性を舞踏の人体をもって表現しようと、情感を排し裸体で顔を隠した男性舞踏家の群舞で演じられた。
- 上演団体 / 個人
- アスベスト館
- 演出 / 振付
- 元藤燁子、マグダレーナ・アバカノヴィッチ
- 会場
- 広島市現代美術館
- 上演年
- 1995
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After Lunch
ケイ・タケイは1969年にザ・ナショナル・シェイクスピア・カンパニーの本拠地であるキュビクロ劇場で「LIGHT, Part 1」を初演し、ニューヨークデビューを果たした。同年、同じ劇場で「ランチ」を発表。それから6年後、「ランチ」の後ということで、「アフターランチ」を発表した。
- 上演団体 / 個人
- Kei Takei’s Moving Earth
- 演出 / 振付
- ケイ・タケイ
- 会場
- ニューヨーク大学芸術学部
- 上演年
- 1975
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アボリジニィ
山海塾の創設メンバーの一人、滑川五郎(1950-2012)の初の独舞公演。前年9月のシアトル公演中に事故死した山海塾のダンサー・高田悦志への追悼を込めた舞台だった。1987年に山海塾を離れ独立する滑川の、舞台の方向を決めた公演となる。
大谷資料館の巨大な地下空間に大谷石650個、竹200本等を使った大掛かりな舞台がつくられ、舞台の一体感と防寒を兼ねた演出として、観客はコシノジュンコがデザインした衣装を着て、移動しながら観覧した。- 上演団体 / 個人
- 滑川五郎/ アウストロアーツアソシエーション
- 演出 / 振付
- 滑川五郎
- 会場
- 大谷資料館 大谷石地下採掘場跡
- 上演年
- 1986
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天地(あめつち)
サンフランシスコ舞踏フェスティバルの参加作品。前年のポーランドに続く海外公演だが、舞踏が世界に広がってゆく中で元藤燁子が果たすべき活動も見えてきた。身体が天と地をつなぐという元藤燁子の壮なるイメージは、舞踏によって生の全体性を回復しようとする思想へとつながり、本作品が構想された。主演の元藤はロープを使い天と地をつなぎスケールの大きい作品となった。
- 上演団体 / 個人
- アスベスト館
- 演出 / 振付
- 元藤燁子
- 会場
- フォートメイソンズ・コーウェルシアター
- 上演年
- 1996
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荒覇吐 – あらはばき – 洞窟篇
EARTH WORKS DANCE PROJECT。
1986年に大谷石地下採掘場跡で「アボリジニィ」を上演した滑川五郎は、東京を拠点に活動していたが、1996年、自身の舞台を方向づけた大谷町に拠点を移す。
空間に活かされる形、空間に身体を任せる舞台を求め、太古の呼吸を感じたという大谷資料館で、再び総合舞台を創出。チラシには「古代人の見た宇宙、魂のプロメテウス」とある。
「アラハバキ」とは、主に東北地方から関東地方で信仰されてきた謎の包まれた神のこと。- 上演団体 / 個人
- 滑川五郎/ アウストロアーツアソシエーション
- 演出 / 振付
- 滑川五郎
- 会場
- 大谷石地下採掘場跡
- 上演年
- 1998
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アラハバキ(日暮里公演)
アラハバキとは、主に東北地方から関東地方で信仰されてきた謎多き神。「荒覇吐」「荒脛巾」など様々に表記され、足の神、製鉄の神、蛇神等、諸説ある。滑川五郎は「アラハバキ」を弘前では野外で、「洞窟篇」を1998年に大谷資料館で上演している。踊りの発祥を舞台にしたいと民俗学にも造詣が深かった滑川にとって魅力あるテーマのひとつだったことが窺われる。日暮里公演および弘前公演の詳細は不明だが、1995年前後と推定される。
- 上演団体 / 個人
- 滑川五郎/ アウストロアーツアソシエーション
- 演出 / 振付
- 滑川五郎
- 会場
- 日暮里サニーホール
- 上演年
- 1995
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Alteration of Alterations
アバカノヴィッチの母国ポーランドでの「アバカノヴィッチへの手紙」の公演。本作はアバカノヴィッチと元藤燁子との共同演出の作品として発表されてきたが、ついにポーランドに招かれての上演となった。ワルシャワで開催のアバカノヴィッチ展のオープニングに合わせての野外公演で、男性舞踏手の群舞と元藤のソロのダンスに、斎藤徹のベースと2本の箏(17弦)が加わり、悲惨な歴史の地ポーランドでの鎮魂の舞踏となった。
- 上演団体 / 個人
- アスベスト館
- 演出 / 振付
- 元藤燁子、マグダレーナ・アバカノヴィッチ
- 会場
- アグリコラ・パーク(ワルシャワ)
- 上演年
- 1995
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あわひ
岩名雅記独舞。1988年、早稲田奉仕園で初演。ダンスシリーズ「装束は水」の一作。パリ、エジンバラでも上演された。作中では鏡と蛍光管が用いられる。初演案内状には、「私の踊りの中に少しづつ芽生えてきた自己(性)愛の蒼い魚を、足関節と唇の距離のいたぶりといつくしみの綾取りとして、或いは触れる、触れられるという触感覚のイレウス(腸管閉塞)として、私という肉体の湖の中で渉猟(ハント)してみたい」とある。
- 上演団体 / 個人
- スタジオ200
- 演出 / 振付
- 岩名雅記
- 会場
- スタジオ200
- 上演年
- 1989
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暗黒から光へ
昭和54年度文化庁芸術祭参加作品。その振付に対し昭和54年度文化庁芸術祭優秀賞。
「死の舞踏には二種類ある。Danses des MortsとDanses Macabresである。前者は宗教的観念に根ざし、後者は生き延びた人が死を茶化す要素もあるものだ。
ローマのカタコンベだけでなく世界中にある「死の愛好文化」の遺産。
そしてどの時代も、多産が疾病、飢饉、戦争による大量死と対抗したのだろう。
私が「死の舞踏」を数年来あたためていたのは、身近にバタバタと愛する者の死があったことに端を発している。
死によって初めて生が価値づけられ、そして芸能は痛みを見極めることだと思い始めた。
私の舞踊は最近、神や絶対者のための芸術であるより、儚い生を生きる人間や弱さのための芸能でありたいと考える。」(若松美黄ープログラムから一部書き直し抜粋)- 上演団体 / 個人
- 若松美黄・津田郁子自由ダンス
- 演出 / 振付
- 若松美黄、津田郁子
- 会場
- 読売ホール
- 上演年
- 1979
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暗黒の翼
舞踏ダンサー・山田一平(ビショップ山田)がキーウに滞在し、ウクライナ国立キーウ・シェフチェンコ劇場バレエ団のバレエダンサーを振付けた作品。バレエしか知らなかったダンサー達が舞踏に出会う。
当時ウクライナの国民的スターだったアンナ・クシニリューワ等が出演し、同年8月には東京芸術劇場で同作をリメイクした「オデットに夜の扉を」がほぼ同じキャストで上演された。- 上演団体 / 個人
- 北方舞踏派
- 演出 / 振付
- 山田一平
- 会場
- ウクライナ国立歌劇場(タラス・シェフチェンコ記念ウクライナ国立歌劇場)(キーウ)
- 上演年
- 1998
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家
少女の軽やかなスキップ。そのシンプルで颯爽とした動きに対して、時間をかけて、一枚ずつ洋服を重ねて着ていく行為を見せる。少女はどんどん着膨れして窮屈な大人になっていき、最後は褞袍(どてら)をまとう。その姿で一生懸命動こうとする滑稽な大人の世界を描きあげる。折田克子は「石井みどりの舞踊家のためのリトミック」というメソッドをいかし、あえて動きの基本のみで自由・不自由が伝わる作品に仕上げている。
「折田克子・一人だけの舞踊」にて上演。折田克子作品では、前田哲彦の美術・衣装が共に世界観を創り上げるが、本作でも前田は大きな役割を果たした。のちに折田克子が好んで使う「褞袍」(どてら)を、この作品で最初に使った。- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 折田克子
- 会場
- ABCホール
- 上演年
- 1978
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イサムノグチとVARIABLE LANDSCAPE
マーサ・グレアムの舞台美術も手がけていた彫刻家、イサム・ノグチの展覧会「Noguchi’s Imaginary Landscapes」会場での公演。展覧会が巡回する各地の美術館でも上演された。ノグチがパフォーマンスのために用意した「Variable Landscape」と名付けた場で、6人のダンサーが固定されていない木材等を身体表現により動かしたり空間を変えたりして演じる。紙のランプやタタミ、ショウジなど、日本の生活にある美を取り入れたイサムノグチの作品とのコラボレーション。
- 上演団体 / 個人
- Kei Takei’s Moving Earth
- 演出 / 振付
- ケイ・タケイ
- 会場
- Walker Art Center
- 上演年
- 1978