作品一覧
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彼方への風 ー舞踏とパフォーマンス
舞踏の現場’98 in KYUSHU。HIJIKATA TATSUMI '98参加作品。
土方を通して土方の彼方へ。私を通して私の彼方へ。舞踏の現場、舞踏の現在はこの私の肉体の裡にある。ー原田伸雄 (公演フライヤーより)
ー元藤燁子はこれが九州初ステージ
ー関連イベント:1998年10月24日 舞踏の現場’98 第二企画 NON-STOP-BROWING(会場 警固公園)- 上演団体 / 個人
- 舞踏靑龍會
- 演出 / 振付
- 原田伸雄
- 会場
- NTT夢天神ホール
- 上演年
- 1988
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かたしろ
近松祭in長門’94参加作品。
山口県長門市は、近松門左衛門生誕の地であるとの伝説が語り継がれ、「楽棧敷(がくさじき)」という野外劇場のある赤崎神社を有する。1994年に市制40周年を記念して、「近松祭in長門’94」を開催、ドナルド・キーンによる記念講演や地芝居公演、人形劇による「子供近松劇場」など様々なイベントが開催された。そのオープニングとして、滑川五郎構成・演出により「楽桟敷」の構造を使いきった公演が行われた。- 上演団体 / 個人
- 滑川五郎/ アウストロアーツアソシエーション
- 演出 / 振付
- 滑川五郎
- 会場
- 赤崎神社楽桟敷(山口県長門市)
- 上演年
- 1994
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風よ、何を運ぶ
本公演のタイトルは、「風よ何を運ぶ 私の肩には重すぎる荷物か〜」という詞章が掲げられていることによる。公演では、元藤燁子のソロと元藤の弟子の柳川圭子のソロが上演された、柳川は若年時にバレエを習得して、その後アスベスト館に入門、元藤に師事して舞踏を始めた。「アバカノヴィッチへの手紙」など元藤作品にも出演し、自らのソロ作品もあるが、本公演で初めて師の元藤と二人での舞台となった。
- 上演団体 / 個人
- アスベスト館
- 演出 / 振付
- 元藤燁子、柳川圭子
- 会場
- アスベスト館
- 上演年
- 2001
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風の景色-上海-
昭和58年度文化庁助成による現代舞踊公演にて上演。1980年代の折田は、台本・今野裕一、美術・前田哲彦、照明・沢田祐二等々をブレインに迎え、作品を展開していた。
風に色があるか否かは知らないが
うつろう風のなかには、確かにそれぞれの景色が棲んでいる。
風の景色を見た時から人は踊りを知る。
しあわせなことに景色を見たのが、少年の頃であれば、少年は
必ずダンサーになる。
だが不幸なことに、知らなければ何事もなく終わってしまったで
あろう人生のなかばで風の景色を知ってしまった人は哀しい。- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 折田克子
- 会場
- 簡易保険ホール
- 上演年
- 1983
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輝かしき開拓者;よろこびの歌
<輝かしき開拓者> 一世の開拓者の日に焼けたたくましい体、鋭いまなざし、白い髭、これまで見たことがない人間の姿に出会ってまるで優れた芸術作品を目の当たりにしたようだと衝撃を受け、その労働者たちの美しい働く姿を活かした作品を創作した。
<よろこびの歌> 弓場農場へ到着した時の感動を小原明子がナレーションで語り、続けて「太陽が暑いから」「ヤマの仲間達」「よろこびの歌」とヤマ(弓場農場の通称)のテーマ曲(作詞作曲:矢崎正勝)を合唱する。「輝かしき開拓者」と同様、弓場農場の生活を表す作品で、数々の公演で演じられてきた。
「輝かしき開拓者」は1963年、「よろこびの歌」は1978年初演。2作品共に、弓場農場、日本公演、ブラジル全土で上演されてきた。ブラジル日本移民70周年を記念した1978年のユバ・バレエ団第一回日本公演(各地13カ所)のプログラムは、「輝かしき開拓者」で始まり、日本公演のために創作した「よろこびの歌」がフィナーレだった。本映像の「よろこびの歌」は2021年編集版である。- 上演団体 / 個人
- ユババレエ団
- 演出 / 振付
- 小原明子
- 会場
- 弓場劇場(ブラジル)
- 上演年
- 2021
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鏡のテオーリア
元藤燁子が多田智満子の著作『鏡のテオーリア』を原作とする鏡の神話と伝説に、名古屋の鏡伝説を加えて構成した新作で、存在と無、時間と永遠の問題を身体で考察する舞踏作品となる。本作は、愛知芸術文化センター主催のイベントークPartⅥ「土方巽を幻視する」に参加の舞踏公演であった。主演の元藤燁子と共演のアスベスト館の舞踏手たちに大野慶人が加わり、さらに大野一雄の特別出演を得て、重奏の舞踏空間となった。
- 上演団体 / 個人
- アスベスト館
- 演出 / 振付
- 元藤燁子
- 会場
- 愛知県芸術劇場小ホール
- 上演年
- 1997
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嬶ァ烈伝
田に沈む数限りない歴史のあしあとを踏む砺波平野の風をめしませ、「嬶ァ烈伝」。
城端町細野の田んぼの上に造られた野外劇場で、田の神様の力を借り、カミさん(嬶ァ)の底力を踊る。
観客は開演2時間前の日の暮れる前から屋台や出し物も楽しんだ。- 上演団体 / 個人
- 大豆鼓ファーム
- 演出 / 振付
- 星野裸身番
- 会場
- 城端町 野外特設田んぼ劇場(富山県)
- 上演年
- 2001
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帰ル
日本舞踊批評家協会賞受賞作品。
東日本大震災の年に行った公演「帰ㇽ」を作った動機は、震災原発の問題の後、世界不況も絡み合った閉塞感で人々が生きるという方向性を見失ってしまい崩壊へと向きかねないという危機感からです。舞踏家の使命として、舞台において、現在の世界に体を開き、誠実な一歩を歩む事により、お客様へ生きる事への共振をお伝えしたいと願ったのです。この世の命は全て祝福されている。帰ㇽ、命の肯定へ。死や崩壊すら再生への始まりです。- 上演団体 / 個人
- Dance Medium 長岡ゆり
- 演出 / 振付
- 長岡ゆり
- 会場
- シアター・バビロンの流れのほとりにて
- 上演年
- 2011
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カイゴ・香異湖・KAIgo!
劇団態変・障害者ミュージカル。
生野に家がありながら、そこから遠く離れた病院、施設で育つことを余儀なくされ、地域から消された金満里。自立生活を始めいろいろなひとと出会う中で、もう一度生野と向き合う必要が自然な道として現れた。在日朝鮮のるつぼの中に障害者の爆弾を打ちこんだ先に何が生まれてくるのか。エキサイティングな気分と共に制作された作品。- 上演団体 / 個人
- 劇団態変
- 演出 / 振付
- 金満里
- 会場
- 生野こどもの家
- 上演年
- 1988
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O氏への旅 O氏からの旅
舞踏家・大野一雄は2010年6月1日に103歳で亡くなった。その年、世界各地で追悼の集いが行われたが、2004年から毎年開かれていた「大野一雄フェスティバル」も11月から12月にかけて、「大野一雄の世界」を共有することを主眼に開催された。オープニング公演を含む三夜は「終わりのない舞踏会」として同フェスティバルのそれまでの参加者や公募参加者などによる短い作品を連続上演した。「O氏への旅 O氏からの旅」はそのうちの第三夜で、4つのソロ作品および大野慶人の演出で大野一雄舞踏研究所研究生の群舞作品が上演された。大野一雄フェスティバル2010参加作品。
- 上演団体 / 個人
- 大野一雄舞踏研究所
- 会場
- BankART Studio NYK
- 上演年
- 2010
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August 27, 1979 – The Girl Can’t Help It
アメリカ・メイン州の風景を前に、シンプルな動きとアクションを見せる中馬芳子の初作品。
- 上演団体 / 個人
- 中馬芳子
- 演出 / 振付
- 中馬芳子
- 会場
- アメリカ・メイン州
- 上演年
- 1979
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Ondine(オンディーヌ)
今はなき、法政大学学生会館学館大ホールにて上演。当時は、学生が自主管理のもと、さまざまなライヴ、演劇、映画が企画され、「オンディーヌ」も、演劇企画の黒いスポットライト(1974-2004)の主催。
「オンディーヌ」とは、ギリシャ神話に登場する水の精(人魚姫)であり、ジロードゥー、アンデルセン、劇団四季、寺山修司たちも作品化している。指輪ホテルは『この世の病、オンディーヌ。愛を併発して蔓延する。特効薬はない。』というテーマで、学館大ホールを豊穣な赤土の海と化した。- 上演団体 / 個人
- 指輪ホテル
- 演出 / 振付
- 羊屋白玉
- 会場
- 法政大学学生会館学館大ホール
- 上演年
- 1996
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Hommage a Hideyuki Yano
1973年からパリを拠点に活躍した矢野英征は、ダンスと演劇、音楽を融合させた作品群で、フランスのヌーヴェル・ダンスに大きな影響を与えた。矢野の作品から、ワーク・イン・プログレス(1981年、パリ)、「サロメのためのエピローグ」(1984年、パリ)、「鷹の井戸」(1985年、パリ)、「サロメ、欲望の寓話」(1985年、ブザンソン)を抜粋して収録。エルザ・ウォリアストンやカリーヌ・サポルタが出演している。
- 上演団体 / 個人
- 矢野英征
- 演出 / 振付
- 矢野英征
- 会場
- パリ、ブザンソン
- 上演年
- 1981
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踊る男
福士正一は青森を拠点にオドラデク道路劇場を主宰する舞踏家。青森市役所に35年間勤務しながら、路上や劇場での舞踏活動を国内外で活発に行ってきた。本作は2017年5月フランス旅公演の記録である。ストラスブール、ニームの街中、学校、ギャラリーなど各所で踊り、居合わせた人々と舞踏を通して交流する様が活写されている。パリでは、ベルタン・ポワレ劇場での第18回舞踏フェスティバル「うりこひめ」に参加した。
- 上演団体 / 個人
- 福士正一
- 演出 / 振付
- 福士正一
- 会場
- フランス
- 上演年
- 2017
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踊りの生まれるとき
0年にわたり舞踏家として活動している雪雄子の北国での生活を追う民族誌学映像作品。この映像は森と人、記憶から生命のかたちへの賛歌であり、森羅万象の宿る場で、日常の生活のなかから踊りが生まれる瞬間を記録したものである。2021年、米国地理学会や日本文化人類学会等で上映された。
- 上演団体 / 個人
- 雪雄子
- 演出 / 振付
- 雪雄子
- 上演年
- 2020
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音江山
舞人 五井輝独舞ーDon't cry boy。2004年度第36回 舞踊批評家協会賞受賞。
村々を繋ぐ、ひくく小さな山の連なり
北厳の四季に、悲哀を満たして
石狩の水が流れていた。―チラシより
五井輝の生まれ育った家からは、石狩川を挟んで向こうに音江山が見えた。標高730mの平べったい山は、沖里河山・無名山と共に音江連山として地元では親しまれている。- 上演団体 / 個人
- 五井輝
- 演出 / 振付
- 五井輝
- 会場
- テルプシコール
- 上演年
- 2004
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オデットに夜の扉を
1998年3月、舞踏家・山田一平(ビショップ山田)はキーウに滞在し、ウクライナ国立キーウ・シェフチェンコ劇場バレエ団のバレエダンサーを振付けた。当時ウクライナの国民的スターだったアンナ・クシニリューワを始め、バレエしか知らなかったダンサー達の舞踏との出会いだった。その時生れた作品「暗黒の翼」(ウクライナ国立歌劇場にて上演)をリメイクし、ほぼ同じキャストで東京公演が実現した。
- 上演団体 / 個人
- 北方舞踏派
- 演出 / 振付
- 山田一平
- 会場
- 東京芸術劇場 中ホール
- 上演年
- 1998
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お膳または胎児の夢
大野一雄に師事していた研究生と大野一雄との群舞作品。1980年に大野一雄が海外デビューを果たしたナンシー国際演劇祭にて初演された。ひと月以上に渡るヨーロッパツアーからの帰国後に横浜の稽古場にて数人に披露されたものと考えられるが、上演日付は不明。ナンシー国際演劇祭のプログラムから把握できる配役は次の通り。
胎児・馬:大野一雄 / 死神:池部篤治 / 太陽:中村森綱、秀島実 / 太陽を生む狂女、胎児の母:上杉貢代。- 上演団体 / 個人
- 大野一雄舞踏研究所
- 演出 / 振付
- 大野一雄
- 会場
- 大野一雄舞踏研究所
- 上演年
- 1980
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憶の市
折田克子舞踊公演(石井みどり・折田克子舞踊団アトリエ公演)より。タイトルの「憶の市」とは、記憶や意識下の時間を示す。多くの人間がおりなす時代、その背景となる歴史、人間の瞬時のエネルギー、解明し尽くせない自然と人間の神秘的な部分などを、オリジナリティーあふれる現代的なタッチで表現した舞踊作品。舞踊批評家協会賞受賞。折田克子が群舞の創作をはじめた初期の作品である。
- 上演団体 / 個人
- 石井みどり・折田克子舞踊研究所
- 演出 / 振付
- 折田克子
- 会場
- ABC会館ホール
- 上演年
- 1978
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お勝手ジプシー
古川あんず'86ベルリン・フェス招聘記念舞踏会。
1986年にベルリンで開催されたヨーロッパ初の舞踏フェスティバル(主催:キュンストラーハウス・ベタニエン)への参加を控えた古川あんずのベルリン・フェス招聘記念公演。古川がベルリンに移住し、ブラウンシュヴァイク教育美術大学で教えるようになるのは、この5年後の1991年のことである。
- 上演団体 / 個人
- 古川あんず
- 演出 / 振付
- 古川あんず
- 会場
- ゲーテ・インスティトゥート 東京
- 上演年
- 1986